歴史276
公害克服の
歴史を調べる

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1.北九州市の発展
と公害の発生

調べる計画を立てよう

1901 八幡製鉄所

北九州工業
地帯として発展

汚水を洞海湾に垂れ流す

「死の海」

ばいじんをまき散らす

2.青空がほしい

婦人会が立ち上がる
・汚染調査
・専門家と提携
・記録映画づくりなど

公害の影響で廃校になった
城山小学校の六年生が書いた詩

きょうものどがいたい
近くの工場を見ていると
高いえんとつから
真っ黒いけむりがでている
洞海湾からは、くさいにおい
車からは、はいきガスと騒音
こんな生活がいやになる
おじいさんの子どもの頃は
城山に住む小鳥のさえずり
洞海湾を泳ぎ回る魚の群
ぎおん祭りのかね、太鼓のひびき
にぎやかだったそうだ
鳥も去り、魚の姿も見えず
一人去り、二人去っていく友人たち
でも去れる者はよい
くらしが立たないでどこへもいけず
困っている人々もたくさんいるのだ
ぼくの家だって、夜おそくまで父と母が
話しているのを聞いたことがある
「ここにのこるしかないね」
ぼくたちの家族はすすけた屋根に
ひっしにこびりついているセメントの
かたまりと同じだ
いったい、この地球はだれのものだ

市民・企業・研究機関
・行政機関を動かす

その後20年の歳月と
約8000億円の費用
をかけて公害を克服

資料

ばい煙の空、死の海から奇跡の復活


【現在】 青い空


【現在】よみがえった洞海湾。100種類以上の魚介類が生息。


NHKクリップ

板書

rekishibanshoP276