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チリ CHILE - Coggle Diagram
チリ CHILE
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概要
略歴
ニューワールドという通称からもうかがえるように、ヨーロッパに比べてワイン造りの歴史はまだ浅いチリ。しかしいまや生産量では世界第6位に入るほか、日本への輸入量がナンバーワンとなるなど、存在感を日に日に増しています。
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未来
日本でも多くの種類が店頭に並ぶコストパフォーマンスに優れた、いわゆる「安旨」ワインだけでなく、世界的に評価の高いセーニャやアルマヴィーヴァといったスーパープレミアムワイン、近年ではテロワールに着眼点を置いたミドルレンジのワインに国を挙げて力を入れるなど、ワイン生産国としての成長が著しい国です。
歴史
はじまり
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1830年にはチリ政府がフランスよりクロード・ゲイを招聘し、農事試験場を開設しカベルネ・ソーヴィニヨンやソーヴィニヨン・ブランなどのフランス系品種を輸入、栽培。1852年には、後にチリワインの父と呼ばれるシルベストレ・オチャガビア氏が、フランスから大量にブドウの苗木を輸入、マイポ・ヴァレーに植樹します。
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フィロキセラそして荒廃
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そしてフィロキセラの害を受けていない、チリのブドウを使ってワイン作りを行い、大打撃を受けていたヨーロッパに向けて輸出をし始めたのです。そんな中開催された1889年のパリ万国博覧会では、チリワインは大きな評判を呼びました。
その資金を元手に栽培技術の導入や灌漑設備の整理を行い、増産体制を構築。1875年には44,000ヘクタールだったワイン用ブドウ栽培面積は、1900年にはほぼ倍の80,000ヘクタールにまで増加しました。
しかしこの増産が、その後数十年に渡るチリワイン危機を招くこととなります。なぜならヨーロッパの人たちは、ただフィロキセラに手をこまねていたわけではなく、接ぎ木という技術をもってこの被害を克服していたのです。
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新しいワイン造りへ
1980年代半ばに政府の施策や新技術の登場によって、ようやく息を吹き返したチリワイン産業は、その恵まれた環境と、フィロキセラの侵入を許さなかった自根のブドウ樹をもって国際市場に参入、安くて美味しいヴァラエタルワインで国際的な地位を獲得していきました。
1990年代に入り、さまざまな人々がワイン産業に携わるようになると、付加価値のあるプレミアムワイン造りにかじを切り、セーニャやアルマヴィーヴァなどのスーパープレミアムワインが国際市場に認知されるようになりました。
スーパープレミアム、そして
ベルリン・テイスティング
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その時に出品されたのが、歴史的当たり年シャトー・ラフィット・ロートシルト2000年やシャトー・マルゴー2001年、イタリアのスーパータスカン、ソライア。それらを抑えて、ヴィニェド・チャドウィック2000年が1位に輝きました。
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セーニャ
そんなベルリン・テイスティングで2位になったのが、セーニャ。アメリカですでに成功を収めていたロバート・モンダヴィとエデュアルド・チャドウィックがジョイントベンチャーを設立し生んだスーパープレミアムワインです。
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アルマヴィーヴァ
そんなセーニャと双璧を成すようなスーパープレミアムワインが、アルマヴィーヴァ。ボルドーを代表するバロン・フィリップ・ド・ロートシルトと、コンチャ・イ・トロが設立したジョイント・ベンチャーが作る1本です。
カリフォルニアのオーパス・ワンですでに成功を収めていたバロン・フィリップ・ド・ロートシルトが、ボルドー最高峰の技術とチリのテロワールの融合を図って生み出し、セーニャと共にチリワインを引っ張る存在となっています。