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【日本語の歴史】山口仲美 - Coggle Diagram
【日本語の歴史】山口仲美
【序文】日本語がなくなったら
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二.織物をつむぐ糸
けれど、言葉そのものは、実に地味な存在。言葉によってつむぎだされた文学や思想は、人の注目を引きやすく、拍手喝采を浴びることもあります。それに比べて、文学や思想を生み出した言葉そのものが派手派手しく脚光を浴びたりすることはありません。言葉は、織物を作り出すための糸に過ぎません。
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三.日本語がなくなったら
【日本語の歴史を知る必要性】
ところで、日本語の歴史を知ることには、どういう意味があるのでしょうか?日本語の将来は、日本語を話す人々すべての問題です。日本語を生かすも殺すも、日本語を話す人々の考え方に掛かっています。敬語をどうするのか?「言葉の乱れ」をどう考えるべきなのか?これからの日本語をどういう方向に換えていくべきなのか?日本語を使っている人々一人一人が、考えてみるべき問題です。これらの問題を正しく考えるためには、日本語の盛衰の歴史を知っていることが必要です。
【言語と文化の独特性と一元化】
①英語という糸で織りなされる文化は、日本語という糸でつむぎだされている織物とは全く異なっているのです。
②日本語で織りなされていた織物のもっていた独特の風合いがなくなってしまったのです。母国語を失うということは、ものの考え方、感じ方を失うということ。大げさに言えば、具体的で感覚的な日本文化が消えているのです。
③人類の文化が発展するのは、さまざまな素材があり、その素材によって織りなされる文化が違うからこそなのです。違う文化同士が接触し、お互いに刺激しあい、総体として人間の文化が発展する。
四.何を目指して
【本書の趣旨】
①日本語の歴史に関する専門的な知識をわかりやすく魅力的に語ること
②できる限り、日本語の変化を生み出す原因にまで思いを及ぼし、「なるほど」と思ってもらえること
③現代語の背後にある長い歴史の営みを知ってもらうことによって、日本語の将来を考える手がかりにしうること
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1.漢字にめぐりあうーー奈良時代
一.困った問題
二.日本人は「借りる」ことを選んだ
三.「借りた」ために起こった苦労
四.漢字に日本語の読みを与える
五.万葉仮名の誕生
六.一字一音が基本
七.戯書の万葉仮名
八.日本にも文字があった?
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ところで、日本人は、漢字を借りる前に日本固有の文字を持っていた、そう主張する人が江戸時代に出現しました。中でも有名なのは、平田篤胤(ひらたあつたね)。彼は、鎌倉時代の卜部兼方の『釈日本紀』に次のように書いてあったところから、古い日本には日本固有の文字があったと考えたのです。
「於和字者、其起可在神代歟。」(『釈日本紀』)
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こんなふうに、万葉仮名の「戯書」には、奈良時代人の機知が溢れ出ていて、思わず会って話してみたくなってしまいます。お隣の国の中国の文字を借りてしまったために、日本人は日本語を書き記すのに最初のうちは苦しんだ。必死になって、自分たちの使っている日本語を漢字で書き表そうと努力した。努力しているうちに、「戯書」に見るように、漢字と楽しく遊び出した。ようやく漢字を手なずけることに成功し始めたのです。
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【漢字輸入の媒体】
文化も高く、日本よりも数段、勝っている中国の漢字を、日本が受け入れたのは『古事記』や『日本書紀』によれば、三世紀の終わりのこと。中国からの書物『論語』『千字文』との対面がそれであったと記されています。
【日本語と中国語の違う言語体系】
①【語順】日本語の語順は、述語が最後に来る。ところが、中国語では、英語と同じく主語の後に直ちに述語が来る。
②【膠着語と孤立語】
日本語には、多くの助詞・助動詞があり、それが実質的な意味を持つ単語に膠で接着したようにくっついて、文法的な役割を示しています。「膠着語」と呼ばれる言語の一つです。一方、中国語には、日本語の助詞・助動詞に該当するようなものがとても少ない。文法的な役割は、実質的な意味を持つ単語の順序で表します。「孤立語」と呼ばれる言語の一つです。
【絵と文字】
絵でも確かにある程度は伝えることが出来ます。けれども、描くのに時間がかかるし、誤解のないように伝えることは難しい。そもそも、絵というのは、流れ続ける時間のなかのある瞬間をとらえて表現するものです。それに対して話し言葉は時間の流れに沿って展開するものです。最初から、性質が異なる媒体なのです。時間的に展開する話し言葉は、やはり時間的に展開する「文字」に写し取っていくのが最も懸命な方法です。
こんなふうに、万葉仮名の「戯書」には、奈良時代人の機知が溢れ出ていて、思わず会って話してみたくなってしまいます。お隣の国の中国の文字を借りてしまったために、日本人は日本語を書き記すのに最初のうちは苦しんだ。必死になって、自分たちの使っている日本語を漢字で書き表そうと努力した。努力しているうちに、「戯書」に見るように、漢字と楽しく遊び出した。ようやく漢字を手なずけることに成功し始めたのです。
2.文章をこころみるーー平安時代
一.日本最古の文章は
二.天皇は自分に敬語を
三.漢式和文という名前で
四.日本語の文章を書き始めたのは、いつ?
五.男性たちは漢式和文で日記をつけた
六.奇妙な翻訳
七.漢文を和語で訓読する
八.ヨコト点という面白い発明
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【時代ごとの訓読法】
奈良時代以前から、日本人は、そうしたやり方で漢文を理解していました。けれども、平安時代までは、漢文の行間に訓読法を書き込んだりすることはありません。
平安時代になってはじめて、訓読を漢文の行間に書き込むようになった。だから、漢文を見ると、当時の人々が返り点をつけ、助詞・助動詞を書き加え、ときには振り仮名を付けて訓読している様子が手に取るように分かります。漢語もできるだけ、該当する和語(=やまとことば)に翻訳して読んでいます。私たちが高校の漢文の時間に行った訓読は、漢語はできるだけ漢語で読むという【江戸時代】の訓読法の流れに従って読んでいますが、【奈良時代や平安時代】には、できるだけ和語に翻訳していこうという精神でした。
【和語で訓読する】
その訓読に使う和語が、日常会話で使う和語とは異なっている。ここが面白い。たとえば、「眼」と書かれた漢語を「ガン」と音読みにしないで、「まなこ」という和語に翻訳して訓読する。ところが、日常会話で一般に使う和語は「め」。こんなふうに、漢文訓読の時にだけ用いる和語がたくさんあります。「あらかじめ」「あるいは」「ことごとく」「はなはだし」「ひそかに」「いきどほる」など、すべて漢文の訓読だけに用いる和語です。日常会話では、それぞれ「かねて」「あるは」「すべて」「いみじ」「しのびて」「むつかる」などの別の和語を使っているのです。
漢文の訓読というのは、原文の漢文に符号を書き込み(返り点)、助詞・助動詞などを書き込んで、翻訳完了なのです。新たに、日本語の文章を書き起こしたりしない。翻訳に必要な作業を一つ抜かした、誠に効率的な消化吸収方法です。だから、日本人は短時間に漢文の内容を吸収できたのです。
日本語の文章を書き始めたのは、大化の改新以降のこと。大化の改新によって、官僚機構が整備され、日本人が官僚になって、文字を記していかなければならなくなってきた時期です。日本人も、必要に迫られ、日本語の文章を漢式和文で書き始めたのです。
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注目すべき点は、天皇が、自分に対して敬語を使っていることです。天皇の誓願の言葉に、「私のご病気がほ平癒なさるようにとおもいになるので」とありました。一定の人物には常に敬語を用いるという絶対敬語の名残りのある時代ですから、上位者である天皇は、自分の行為に敬語を用いたのです。辻村敏樹さんは、これを、最高位者としての自覚の反映ととらえています。現代では、場面や誰の発言かによって変化する、相対敬語ですから、口語訳すると、違和感があります。
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「光背銘」は、漢字ばかりですが、日本語文です。なぜかといいますと、返り読みをしなくてはならない箇所はありますけれど、基本的には日本語の語順で書かれているからです。「薬師像作」「造不堪」「大命受」などは、中国語分の「漢文」であれば、「作薬師像」「不堪造」「受大命」のようになっているはずです。
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