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適当に、とは何か - Coggle Diagram
適当に、とは何か
適当に、を誤解を招かずに伝えるには?
文面だと、カタカナにしたりしている。口頭だと、「ー」を強調してニュアンスを出したりしている。
たしかに、文章打つときは、テキトーと適当を区別しますね。口頭だと、テキトーのときは「テキト〜」って言うかも笑 自分の意図するものに近い状態まで、という意味で「適当に」というときは難しい…。
すでに一緒に何かプロジェクトとかやったことあって「てきとうに」と言って適当にやってくれることが分かってる人は、てきとうに、って言うけど… やってくれない人とか、わからない人とかには、てきとうを全て言語化しますかね…。
ワード1枚、とか、パワポ10枚、とかの目安があればいいかも
相応しい、の意味の時は「適当」ではなく、「適切」と言い換えるようにしている
「適当にやって」と言われて、どこまで適当かわからないときどうする?
前例を見る
怒られるまで手を抜く
適当にやる気合はあるんです!笑
でも気づいたらテキトーになってます笑
1回目はできるかぎりちゃんとやってから、徐々に相手の「適当」を察しつつ手抜き限界を探りますかね?
学年が上がるにつれて、試験勉強の開始時期が遅くなった
なれると手を抜く場所がわかるようになりますよね
コツを掴む、ということかもね
「適当に」を誤解した経験
コーヒ豆のドリップと粉のやつ。相手と前提が違うと、齟齬が生まれやすいのではないか。
相手が何を想定するかを想像することが必要なのではないか
バイトとかに新しく入った時、「適当に」と言われてもわからない。最初は周りを見たりして覚えていく。
ある程度前提がわからないと適当にやるのは難しい
なぜ相反する二つの意味があるのか?
いままでの話を聞いてて、みんな何か(仕事とか)を達成していくときに次第に手を抜くプロになって「適度に手を抜いた状態で」が「てきとうに」だと認識するようになったのかなと思いました笑
世の中、ちゃんとやらないといけないことは実は少なくて、テキトーにやるのが適当なことが多いので、そのうち適当、という言葉がいい加減に、みたいな意味も持つようになったのでは
「テキトー」の意味で「適当」を使うときって、いい加減なレベルがふさわしいよ、そんなもんで十分よ、みたいな意志がある気がします
ハードルを下げたい時に「適当に」という言葉を使う時もあるのではないか
おー!良い視点。ハードルを下げるために…!
何かを依頼する側のアプローチの一つ
でも、テキトーに(大雑把)でいいよ、といいつつ、適当(適切)を求めてくる上司は…やだ!ですね笑
ハードルを下げているようで人によっては逆に上がってるのが難しいですね笑
うちの友達には、テキトーにって任せると全然できなくなっちゃう人がいますねー。(どこまでやればいいのかが分からなくて、ハードルが上がるのも下がるのも効果があって、動けなくなるみたいです)
テキトーの類語として、「とりあえず、」「まずはやってみて」とかあるのかな…と。
最初にテキトーの解説スライドで「ゆるく」っていう言葉があったと思うんですけど、
「てきとう」よりも「ゆるく」とか、もっとニュアンスが伝わりやすい言葉を使うとよいかな?と思いました!
言われる側としては、「適当にやって」よりも「できる範囲でやってくれたらいいよ」だて言われると気分が楽だなという体感があります
ミスを許容するひとことを混ぜるといいのかもですね
自分だけが責任を負うわけじゃないと安心する
1 more item...
いい加減にやる(テキトーにやる)って難しくないですか??
ついつい、ちゃんとやらないといけないのでは?と思ってしまう
レポートとか、最初はいい加減にやろうとしても、終わってみればものすごい時間をかけてちゃんとやってしまう
なんか時間を無駄にした感じ
後から、もっと適当にやれば良かったと後悔する
もっとテキトーにやればよかったな、なんか後悔したことない…!!!!いつもテキト〜だよ笑
時間がない時はテキトーで終わるが、余裕のある時はテキトーでは終われない性格
わかります 走れる限り走らないといけない…と感じてしまう
テキトーにやろうって意気込むんですね…。でも、たしかに「テキトーにできない」って東大生に多い悩みなのかも…??
自分は逆に、最初はちゃんとやろうと思っていても途中で妥協する方向に行ってしまう性格
できそうな時は最後までできるが、努力に見合わないと思うとテキトーになる
わかります、、
途中まで完璧を目指してたけど、無理だと悟った瞬間に悲しくなって、テキトーになってしまうことあります
レポートとか、最初は興味はあっても、自分の知識のなさを感じた時とか、高いクオリティが望めないと気づいた時とか
あ〜共感です
ある一定のレベルまでは、かけた時間と成果がある程度比例するが、それ以上は必要な時間がとても多くなる。
その壁みたいなところが一つテキトーになるポイントかも
これはどうすれば避けられる?
そもそも避けるべきなのでしょうか なんというか、気持ちだけでも意味があるというか…
少なくとも、その後でまたやろうという気持ちの種まきができるみたいな
そうです!課題とは別に、自分の趣味みたいな感じで進めるきっかけになるとか
1 more item...
自分で適当度合いを判断するときの「適当に」とは悟りの意味合いが強いのでは
ただ、他人にいうときは違うのでは
自分が細かく考えるのが難しいとき、ついつい「適当に」という言葉で相手に丸投げしてしまう
たしかに 考える権利を委譲してる感じですね
言われた側は負担ですね
指示がぼやけてるとリターンもボヤケがちですよね。とはいえやっぱり自分の意図した通りのリターンを期待しちゃいますよね
領域によっては、細かく言語化する・明確に指示するのが難しい場面もある
逆に、そう考えると、ある仕事に熟達すると、諸々のことをなんとなくで出来るようになるとも言えますね ヒト、すごいなぁ
たしかに、それは人工知能とかじゃ簡単には出来なさそうですよね
極端な例ですけど、職人技とかも厳密な量というよりは「適当に」という表現の方が近いのかもしれないですね
匠は、何かを作るときいちいち測ったりしない
「適当に」と上司が言う時、部下の能力や状況を理解する目的であえて曖昧にいっている可能性もある
悪い上司目線でいうと、責任を押し付けやすくなるんでしょうね…。と思いました😫