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探し物を探しているときに見つからないのはなぜ? - Coggle Diagram
探し物を探しているときに見つからないのはなぜ?
探す、という行動は普段と違う行動なので、むしろ探すのをやめた時の方が、日常の行動(=無くした時の行動)と同じになるので見つかりやすいのでは
なくすときって無意識ですね
本当にそうなのか、科学的検証してほしい
自分もよくものをなくす
解決策として、①気にしない、②必要なものは常に全て持っておく、③固定された場所に置く、重要なものは入れる場所を決めておく
全部持っている、わかります(カバンの中身を固定していつも持ち歩くので荷物が多くなりますが)
自分がなくしすぎてたくさん持ち歩くようになった結果、むしろ「いつも行く場所」のときは部活動の現役時は何か使いたいものがあるときに声をかけられるくらいになりました
すごい!
自分は、ものを一箇所にまとめるようにしている。色々な場所に分散させない。
自分はものを捨てられないので、分散しちゃって探し物が見つからないのかも
私は大学の持ち物など「いつも行くところ」で使うものはカバンから出さない(家や出先で使ってもカバンに戻す)ことで対応しています、既に出てきた「定位置決め」が持ち歩く前提になっている感じです
大学の机の下のスペース、忘れがち
カバンの中身を入れ替えるのは探し物の温床?
忘れ物となくしものは違うのか?
忘れ物はしないですね…失くしものはします(確かに、違うのかな?笑)
違う気がする
基本的に整理しているので、そういう探し物はすぐ見つかるが、うっかり落とした、みたいな探し物は見つからない。
探し物、なくしもの、忘れ物の違いは?
話が戻りますが、めぐさんが先程使い分けのことを仰っていたので私の考えを→探し物:対象がわかっていて在処がわからない、なくしもの:探し物+存在すら忘れている(心からなくなっているイメージ?)、忘れ物:在処はわかっているのに必要なとき持っていないもの
買ったばかりだった靴下が数か月間、家の中で行方不明中。探し物は忘れられない苦しさがありますね。
私が書いた「なくしもの」の括弧内にある部分が、探し物に時間を使うことにも意義があるということにつながるのかなと思いました。(人生で探し物にかける時間が150時間という話に対してかみさんがプラスのこともあるとコメントされていた内容です)
年間150でした
衝撃です..
自分ならあり得ると思います(自覚ありなので)が、周囲の方々はそうではない印象だったので衝撃でした、意外と人はわからなくなりがちなのですね
探してもいないものが出てくるとか、そういう可能性も考えると、そこまで無駄でもないよね。
結果的に見つかる可能性はどうなんでしょうね。
人生には必要かもね
探しているものと、探している人の関係が違うのでは?探し物は人がものに対し近づこうとする、なくしものは人から物が遠ざかる、忘れ物は人だけが違う場所に行っちゃう
ものと人の関係で考えるの面白いです、発想が私にはなかったものなので興味深いといった言葉が近いでしょうか
探し物をしている時間、人生で結構あるらしい
150時間あるらしい
思いもよらぬ発見があったりするので、そのまま全て無駄ではないかも?
普段と違う行動をすることで新たな発見があるのかも?
探し物をしなければ見つけなかったであろう経験をすることもある
複数の行為を同時にしているとき(〇〇しながら△△する)、一方に全集中すると、もう一方の行為に関連する物をなくす場合があるなぁ
横山先生のお話で思い出したのですが、モノだけでなく何を探したかったのか(次に何をするつもりだったのか)でさえなくしがちです。解決策は未だ見つけられていません…
必要なものがなくなれば、探し物もなくなるか?
子供の頃は、必要なものが多いので、探し物も多くなる
社会人になれば、「必要なもの」はパソコンぐらい?
老人になれば、また探し物の時間は増えるかも
人生で一番アクティブな時は、探し物をしにくいのでは
抽象的な探し物は、社会人の時期が多いかも?
老人になっても、抽象的な探し物をしていたい
教育現場で、忘れ物をしても大丈夫なようにしよう、的な流れができている
そういう教育はいいですよね。人間はどうしても忘れる生き物なので、忘れ物をするのは仕方ないと思います。忘れ物をしたことを責めるのではなく、しかたないと受け入れて、忘れ物をしてもいいような環境を作るのはとてもいいと思います。
小学校の時、学校と家で本を2セット買っていた
探し物をする時間をあえて作れるものなのか?
宝探し、ってあるよね
何かを見つけようとすることは、人間の本能なのかもね
今のうちに宝を家に仕込んでおいて、将来探せるようにしておくのもあるかも?
大学における取り組み自体がそういう営みかも
特に、基礎研究とかは0から見つけていくので大変かもね
社会人になっても自分に必要な何かを探し続けているよ
探したい!と思って探すより、「ふと探す」ことがしたい
井上陽水の歌の2番の解釈
とにかく頑張って、「人生の成功」的なものを探さねば!という当時の風潮に対する疑問かもね
高度経済成長期における
とにかくがむしゃらに働いて、目標を見失ってしまうサラリーマン?
現代においてもこの歌が残っているのは、そもそも目標がわからない現代でも共通する疑問だからではないか