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なぜ死は否定的なものだと思われるのか? - Coggle Diagram
なぜ死は否定的なものだと思われるのか?
原因がなくても漠然と死にたいと思うことがある
周りの期待に応えようとして無理して勉強をした。でも、うまくいかなかった。その問題の原因を周りの人や親に求めるのも違う。そういった時に思う。
幸せな状態でも死にたいと思う。幸せな状態で死んだら今までの悲しいことをチャラにできるのではないかと思う。生きていて常に死を意識している。生と死は常に天秤に乗っている。
幸せな時に死にたいとは思わない。生きていたら今よりもより楽しいことがあるのではないかという期待がある。
あるかもしれないしないかもしれない。だから生きたいとまではならない。知りえないものは存在しない。誰もいない場所で木が倒れた音。
常にマイナス。幸せな時でプラスマイナスゼロになる。楽しいことがあっても生きたいにはならない。
現状に幸せを感じていない時
死後の世界はあるのか。死後の世界ではより高度な意思疎通ができるのでは
存在自体が消滅するのか。それとも死後の世界ではよりよい人生を送れるのか。それとも輪廻転生のようなことが起きるのか。
死んだら記憶はすべてリセットになるのでは。生きている時に考えるその後への期待も消えてしまう。
キリスト教の考え方。今頑張っていたら死んだ後に報われる。その考えで頑張れる人も一定数いる。
いまが辛いから、死んだ後をよりよくしたい。だから、死んだ後のためにいまをがんばって生きていた。
かつてに比べて死は身近でなくなった。飽食時代。距離が出来た死に対して向かおうとする人に対して否定的な考えがでるようになった
輪廻転生は自殺を止めるために生まれた概念なのでは
死後の世界があるかどうかに関係なくいまがしんどい、そう考える人が自殺を成功させる
海外では自殺が禁じられていたりもする
それに対してどう罰則を設けるのか、どう禁じているのか
アメリカなどでは自殺が逃げであるとされている。自分がその環境を選んだのに。その家族が責任を取る形になる。
生きる権利と同等に死ぬ権利もあるのではないか
死は選択肢の1つである
今に対して思うところがあるから、次に対して考えざるをえなくなる。ディズニーランドの例。
死について考えていないことが普通なのだろうか
死んだ人とは話せなくなるから否定的に思われる
死は取り返しのつかない選択。自殺しようとする人ともまだ話したいと思うから、その理由について聞き話したいと思う
生きたいという感情は生物学的に必要
悲しいことで式をするのは葬式だけ。人は死に対して考えていることが大きい。