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「元気が出る」という時、どこから出てくるのか? - Coggle Diagram
「元気が出る」という時、どこから出てくるのか?
よし、元気を出すぞと思って元気が出たことはあまりない
問題が解決することで元気になったことはある
自分の意思では無いときに本当の感情として元気になるのではないか
元気って本当に出したい時は出ないですよね、とっても不便
最近気合いで元気を出せるようになった
気合いで体を動かしている状態と、自然に元気が出ている状態は、結果(生産性)だけ見ると変わらない
ちょっとでも元気があれば、それをガッと自分であげることができる
きっかけで元気が出るって感覚を経験したことがあります!
ただ、元気を出すことが自己目的化してしまうこともある
元気とやる気は違う?
元気が出ない時は辛い・苦しいイメージ。やる気が出ない時は無気力なイメージ
この2つを混同すると、適切な解決策を取れなくなってしまう
逆に元気を出したくない時というか、落ち込んでいたい時もありませんか?
元気を出す方法は、自分の中で確立しているのに、それをしたくないと思って、あえて落ち込んだままでいる時もあります。
あります。仕事がないときにやたらエネルギーが余っていると、余計なことにはまってしまいそうで怖い・・・となる
毎回なぜか授業機関より春休み期間に異常に元気が出て、1日1冊本読んだりアニメにどはまりしてしまって困ります。そういうときは逆に元気を出したくなくて漫然とyoutube見たり、バイトとかに元気を分散させたりする
落ち込んでいるのがなんとなく心地いい時もある
元気がない、というよりは無気力でいることが心地いい、みたいな
ひどく落ち込んで立ち直れない時は、前向きになるための努力をすることすら嫌になってしまいます
元気を出す行動を取るということ自体ハードルが上がってしまう感覚はありますよね
英語の歌詞で、「常に元気であるように繕わなくてもいい」というものがあり、共感した
「から元気」という言葉もある
中高生の時は、元気を出したいなあと思っていた時にオロナミンCを飲んでいました。理由は、当時のCMで元気ハツラツって言ってたからです。(記憶が曖昧)
なんで推しを観ると元気になるんでしょうね、面白いです
家に帰ってきたような楽しさがある
それが「元気が出ている」かというと個人的にはやや違う気もする
youtuberの配信とかは安心感に近いかな・・・。
依存に近い状態になると、それは逆に元気を奪う場合もあるのでは
元気な時は、健全な形で推しを楽しむことができる。
結局娯楽よりも、栄養のいい食事と睡眠がとれて、仕事ができるエネルギーが蓄えられた健康なときに元気を感じます。最近花粉症による不眠で削がれてますが・・・
私は美しかったり頑張ったりしている推しを見ると元気が出るけど同時に「推しはこんなに輝いているのに私はーーー!」という虚無感を感じます!元気だけど元気じゃない!(推しは韓国の女の子です)
好きな人が幸せそうにいるとこっちも幸せな気分になる、みたいな?
自分から主体的に行動したときに出る「元気」と、受動的にいいものを取り入れたときの「元気」とが乖離しすぎて、なかなか娯楽が楽しめません。勉強でいい成果が出たり、小説でいい文章が書けたりするときには元気が出ますが、そもそもそれをするのには元気が必要。しかし、おもしろい漫画とかを見てもいまいち元気がチャージされないという・・・・・・。推しを見て元気が出る人がうらやましいです。
友達と会った時の「元気?」はエネルギッシュというよりは普通に過ごせてる?といった意味ではないか
「元気を出す」という表現は、元気がない状態から元に戻ることも含意しているのでは
元気にならなくてもいいから、普通の状態に戻りたい、と思うことが多い
: :「私は元気だ」はあまりいわないけど、あの人は元気な人だ、とはいうことも多い
単純に状態と変化、というものでも捉えられない
人の性質を表す場合の「元気」は、元気がある・ないとは少し違う意味での、大人しいの反対としての「元気」ではないか
たしかに声が大きいと元気な人と思われやすいですよね
小さい声の人でも本人は元気なこともあるよね
アニマル浜口さん..?
アントニオ猪木さん..?
コロナ禍でオンラインだと、「元気」な人の評価が変わってきているかも。オンラインで元気に盛り上げるのは難しい
オンライン授業で、学生の反応がなくてどんどん元気がなくなっていく先生を見たことがある
対面でも、反応がないと元気はなくなる
ギャルを会議に入れるサービスがあるらしい?場を温める要員として
オンラインでもあるらしい
元気な人の評価は距離感によって変わるのでは。そこまで親しくないと、元気な人を見ても冷めた感じで見ることになる
「元気」であることに対しての評価は、年齢によって変わってくるかも
「元気な若手社員」などの言い方もある
知識や経験がないからこそ、元気しか評価するところがないのでは
そう考えると、年齢というよりは「未熟さ」に関連しているのでは
人を評価するときの「元気」は数ある軸の一つで、知識など他の軸で評価できない時のセーフティネットでは。
元気があるということは、伸び代と捉えられるのかなと思いました!
エネルギーがあるから、そのエネルギーを使って仕事をどんどん覚えていけると思って新人は元気を評価されるのかな、と。
未熟だけど元気な若手・子供を、成熟してるけどフレッシュでないベテラン・大人が「良いなあ」と温かく眺める、みたいな構図がある気もします
「子供は元気が一番」とか言いますけど、たしかに「大人は元気は一番」とはあまり言わないですよね
新人や子供に使われる「元気」は「フレッシュ」に近いような。「元気が出る」は一時的活力だけど、新人や子供への「元気」はもうちょっと恒常的?な活力に感じます
元気、とは「天地間に広がり、万物が生まれ育つ根本となる精気。」
元気がないときは自覚することが多いが、元気が出ている時は自分で思うことは少ないのでは
平穏無事、といった意味での元気は自覚することもあるが、エネルギーが満ちてる!といった意味での元気は自覚することは少ないのでは
後者については自覚する暇がないのかも
結局、どこから出てくるのか?
脳以外の体の部分
胸のあたり?
心の中に「元気収納box」があり、人それぞれの鍵があるのでは
人からの伝染