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人はいつか死ぬのに何故生きているのか? - Coggle Diagram
人はいつか死ぬのに何故生きているのか?
終わりが決まっているのにどこに生きる意味があるのか?
生きる意味はない。ただ辛いことに耐えているだけでは。
いま死んでくださいと言われたら死にきれる?
いい死に方が見つからない。
それこそが生きる意味なのではないか
ダンス部での思い出はその過程だった。死ぬという結果よりもその過程での生きている時間のほうが大切なのではないか
死ぬ意味ってなんでしょう?
損得勘定で考えることはできるが、それ以上に考えることはしにくい
じゃあなんで受験勉強を頑張ることができたの?
夢への近道だったから
夢の実現といい死に方を見つけることはどっちが優先なの?
受験のときに生きる意味を考えてしまった
いつか死ぬとわかっていても生きているうちにしかできないことがある。限られた時間でしかできないことをやることこそが生きる意味なのでは。
生きているうちにしかできないことってなんだろう?
輪廻転生の世界観だと死んだ後に次に生まれ変わった時にできるということがありうる。鳥になって空を飛べるようになる。
人間は欲深いから、生きているうちに抱いている欲求を死んだ後に実現したいと考えて、どんどん別の生まれ変わりを望むようになりそう
死んだら借金の苦しみから逃れられる。これも死んでからできることのひとつ。
死んだ後の時間の方が長い。生きているうちにできることよりも死んだ後にできることの方が多いのでは。死んだ後に何ができるのかぼくたちはわからないんだから。
多いか少ないかとは関係なく、生きているうちにできることの中で自分がやりたいことをやることが重要
死んでる時間の方が長いとはどういうこと?
そもそも死んでいる存在自体は存在するのか?
死んだものは体の機能。魂は死んでいない。
自分が死んだ時点で世界が終わらないとしたら、そしてその1年後も世界が終わっていないとしたら自分が死んだ状態が1年続いているということになる。それが続くと何年も続くことになる。
織田信長で考えると織田信長が生きている時間と死んでいる時間だと織田信長が死んでいる時間の方が長い。輪廻転生していないとしたら400年以上死んでいる状態が続いている。それが他の人間やぼくらにも同じように言えるのではないか。
ひとが死んだとしても時間は流れ続ける。時間が流れているからこそ万物は動き続ける。宇宙がなくなっても時間が止まることはない。一方通行に走り続ける存在が時間。
主観的な時間ではなく、客観的な時間で考えた場合の話。
他人の認識と自分の自覚を切り分けて考えた時に、他者にとっての時間は自分の自覚には現れない。
他人から見た死と自分から見た死は別。自分から見た死だと死んだ後の時間が長いとは言えなくなる。
自分から見た死を知覚することはできる?
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死んでいる時間の方が長いかはわからないのでは?世界の時間軸は直線的ではなく不連続だということもありうるのでは。パラレルワールド。死んだ後の世界がどうなっているのかは確かめようがないのではないか。
生きているときの時間感覚と死んでいる時の時間感覚が同じとは限らない。そもそも死んでいて時間感覚があるかがわからない。
胡蝶の夢。実はいま夢の中の世界かもしれない。そのアナロジーで考えると実はいま死んでいる、生きていないのかもしれないと考えられるのではないか。
そう考えると、いま生きているという感覚はお母さんの胎内にいる状態で見ている夢なのかもしれない。自分がいま生きているのか死んでいるのかは判断できないのではないか。
仮にいま死んでいるとして、人間はないものねだりだから、死んだはずなのになんで生きているんだろうと考えていそう
輪廻転生。死んだら何か生まれ変わる。その時前世の記憶はない。円環的に循環していく。そう考えると死はひとつの通過点でしかない。
そう考える人は死を怖がらない。死をプラスに考える。
子孫繁栄という本能的な思いから
死ぬのは痛いから
友達が悲しむから
自分が死んだら世界が終わると思っている
死について考えることなくなんとなく生きている人が多いのでは
心のどこかで生きる意味を探しているからこそこういった問いが出てくるのでは