Please enable JavaScript.
Coggle requires JavaScript to display documents.
『ルポ 入管 絶望の外国人収容施設』 平野雄吾 ちくま新書 2020年 第一章 夫、あるいは父の死1 - Coggle Diagram
『ルポ 入管
絶望の外国人収容施設』
平野雄吾
ちくま新書 2020年
第一章
夫、あるいは父の死1
ヌリェ・バリバイ(59)
埼玉県川口市在住
前川第5公園を訪れるのが日課
モチノキ
自宅マンションから徒歩五分
子どもは8人
入管収容施設に収容される
トルコ人との乱闘騒ぎに巻き込まれ、重症を負う。
2007年
トルコ南部ガジアンテプから、家族とともに来日。
夫ムスタファ・バリバイがトルコ治安部隊から拷問を受け、一家全体に迫害の恐れがあるとして日本政府に保護を求めた。
トルコ系クルド人
仮放免
難民申請は却下
就労禁止
健康保険にも加入できない
ムスタファ・バリバイ
トルコ南部ガジアンテプ県テキルシン村
1999年10月
ジャンダルマ(トルコ憲兵)がテキルシン村のクルド人の多い地区を急襲する。
ムスタファを含めたクルド人男性数人が拘束され、地区を引き回して見せしめにする。
「みんなに見せて恐怖心を植え付けるために、ゆっくりと走っていきました」
恐怖と屈辱
オズギュル・ポリティカ
クルド系メディア
1999年10月29日
「ジャンダルマの説明では非合法組織クルド労働者党(PKK)を支援していたとして、ガジアンテプ県で10月25日に拘束された」
トルコ政府が進めた対テロ作戦の一環
1999年12月下旬
ムスタファ
背中にミミズ腫れのような黒ずんだ数センチの後が無数にある。
「電気をかけられた」
帰宅
水責め
「手は時折震えるようになり、日常生活に支障をきたし始めた。」
感情のコントロールができなくなる
家庭内暴力
優しい夫、父の面影は消えた。
奇声を発し走り出す
一緒に拘束されたクルド人の中には、睾丸を損傷した男性や奥歯を折られた男性も。
クルド人としてのアイデンティティを強く持っていた。
2000年3月7日
PKKに対する援助及び隠匿幇助の罪で起訴される
具体的な証拠が見つからなかったため無罪
3月15日
ジャンダルマがテキルシン村を急襲し、各戸を家宅捜索する。
ムスタファを逮捕しようとする
マズルム・バルバイ(27)
当時7歳
「ロープでパパが引っ張られてみんなびびったよ。窓は全部割られるし、家の中のものは布団や家財道具、タオルとかまで全部外に放り出されたんだ」
ヌリぇとムスタファの三男
「パパはアフメット・カヤ(フランスに亡命したクルド人歌手)をよく聞いていたよ」
バッカス・バルバイ(35)
ヌリぇとムスタファの長男
「(帰宅後の父は)神経のシステムが壊れたようだった」
1979年
PKK旗揚げの翌年
バルバイ一家は覆面の男たちに襲撃される
「深夜、家族が就寝中に突然、黒い覆面の男数人が侵入して無差別に発砲して、パパ(ムスタファ)のお父さんとパパの兄弟(伯父)が撃たれて死んだんだ。パパやパパのお母さんは窓から逃げたらしい。ママ(ヌリエ)はそのとき、たまたま現場にいなくて無事だった」
2000年
2000年3月15日
父ムスタファの逮捕に抵抗した母ヌリエがジャンダルマから殴り飛ばされるのを見てキレる。
「窓の外からこぶし大の石を見つけてジャンダルマめがけて投げたんだ。それが一人の後頭部に命中して倒れたんだね。そうしたらほかのジャンダルマが何人もね、殴りかかってきてぼこぼこにされた。怖かったけれど、ママが殴られたからとっさに石を投げた。放っておけないと思うよ、そうなったら」
バリバイ一家の親戚や村人とジャンダルマの騒乱に発展する。
ヌリエとバッカスはジャンダルマの詰め所に連行される
三日後に解放されたが、
その三日間食事は提供されなかった。
15歳で、父に連れられHADEPの党員登録をする
4月27日
再拘束後尋問
「おまえのじいさんのように、おまえを殺してやる」
2004年
日本に渡る
ビザが不要
親戚が埼玉県川口市で暮らす
同郷のいとこ二人と一緒
次男エルジャン名義のパスポート
クルド系政党HADEP
1992年に設立
ムスタファはガジアンテプ支部で活動を開始する。
クルド人の権利
教育の権利
クルド語の本の読書会