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『女装して、一年間暮らしてみました』 クリスチャン・ザイデル サンマーク出版 2014 - Coggle Diagram
『女装して、一年間暮らしてみました』
クリスチャン・ザイデル
サンマーク出版 2014
「彼女は「変態」「目立ちたがり屋」と言った。ほんの少し普通とは違うことをしただけで、そんな言葉でレッテルを貼ろうとする。普通でないとレッテルを貼られた者は、ほかの人々から隔離される。そこに交流はない。社会から締め出され、忘れ去られる。マリアとの会話で僕が感じたのはそんな不安だった。すべてを失う怖さ。妻を、そしてそれ以上のものも。ストッキングをはいて、ただそれを告白しただけなのに。」p.13
「自分のなかのもっとも美しい一部を隠し続ける理由はない」p.61
「男は互いに監視し合っている。結局のところ、男たちが発するメッセージはただひとつ。冬でも素足にズボンで生活すべし。男なら我慢できる。そして何より、そうすれば男は男であることができる!」p.27
「男が取るべき態度を取らなくなった時点で、男は男でなくなるのではないか。ストッキングをはくといった「ちょっとしたこと」で、境界を超えてしまうのかもしれない。」p.61
「古くから培われてきた社会のルール。簡単には変えることのできない約束事。それがあるからこそ、僕たちはより自由になり、文化が発展してきたと言える。しかし同時に、性別の役割は、発展をはばむ足かせにもなっているような気がする。それに他人が僕に押し付ける役割、あるいは僕が他人に期待する役割も、実際にはあまり有益とは思えない。それらはうわべだけの見せかけでしかないから。だから、そうした期待にこたえる気はもうない。」p.86
「女性はずいぶん前から自己を解放し、境界を飛び越えはじめた。過去のイメージにとらwれてはいない。女性は笑うかもしれないが、「男性の解放」について話すことを、男は好まない。僕自身、何度も経験したことがある。男性の解放と聞いてある友人はこう言った。「何バカなことを言ってんだ?お前、今は自由じゃないのかよ。でも、それはお前だけの問題。俺には関係ないね」。ほかの友人は「『解放』なんて、女のための言葉だろ」あるいは「男は昔からずっと解放されてるさ!」などと叫ぶ。
問題がないから解放もない。そもそも何から自由になれというのか?生まれつき自由だ。自由になりたいと望むには、まず現状の不自由さを認めなければならない。それは女のすることだ。みんなそう言う。いわば「女性特有の問題」だと。男にはありえないことだと。」p.86
「「男の世界には何ひとつ問題はない。そうでなければ、それは男の世界じゃない」と男は言う。だから、男の世界には問題があってはならない。問題や失敗が生じた場合は、それは男としての無能さの証とみなされる。だから男たちは自分の生きる世界には問題がないと思い込み、失敗を極度に恐れるのだ。」p.88
「男と女は無理矢理にでも対極的な存在でありつづけなければならないのか?男女の区別をつけることも、異性はこうあるべきだと考えることもなく、もっと肩の力を抜いて共存することはできないのだろうか?そうすると、なにか危険なことでもあるのだろうか?」p.141
「「服装倒錯者は異性の服装を身につけることで、自己陶酔に浸ったり、性的な興奮を得たりしようとします。でも、生まれながらの性を捨てることはしません。性転換者は自分が誤った身体に生まれてきたと考えます。そして違う性別になって、心と体を一致させようとするのです」
僕自身は、服装倒錯でも性転換症でもないと思っている。ただ単に自由な人間でいたいだけだ。
「あなたは女装していますね。女性になりたいのですか?」教授がたずねた。
「なりたいというわけではありません。今のところ、女性であること、女性として体験することが楽しいんです。自由を感じています」」p.203
「「人間は、一人ひとりが異なった人格を持っています。同じ人格など存在しません。ですから、科学ですべてを知ることはできないのです。ですから、むしろこう問うべきでしょう。あなたは自分のしていることに満足していますか?」
「ええ、とっても」僕は答えた。
「それなら、いいです。自分のあり方がいやになったときに、問題が生じるのです。あるいはこうありたいと願う人格が社会から受け入れられないときに」
つまり、男女間に横たわる問題の多くはホルモンなどのせいではなく、固定観念や凝り固まったイメージが原因ということなのだろうか?」p.203-204
「自然界で発生する恐れのある遺伝的欠陥のうち、もっとも頻繁に現れるのが「男性」だと主張する研究者もいるぐらいですから。彼らに言わせると、人間とは本来みな女性なんです。その説を裏付ける証拠もいくつか見つかっています。そうは言っても、男性と女性は同じ価値を持つ人間ですけどね」p.207
「婦人科医の意見では、初めはみんな女性だった。だから聖書に書かれている人類創造の話は間違っている。神はアダムの肋骨からイブを創り出したことになっているが、本当ならその逆になるはずだ。イブの肋骨からアダムが創られたに違いない。キリスト教だけでなくたくさんの宗教で、男性を持ち上げ、女性をおとしめる人類創造の神話が語られている。」p.207
「「基本的に、選択の必要が生じた場合、自然界は女性を選ぶようにできています」彼は続けた。「受精の段階でXXになるか、XYになるかが決定されます。でも、その人が本当に女類は男になるかは、別問題です」
「どういう意味ですか?」僕は聞き返した。
「たとえば酵素の働きなどにごくわずか内情が生じただけでも、遺伝的には男性のはずの人物が女性の特徴をもつようになったりします。その逆もありえます。でも、それは性の転換という話ではありません。ごく自然の自然現象です。染色体以外の「欠陥」によって中性的な人物が誕生することもあります。男女両方の生殖器をもってうまれるために、性別が決定できない人たちのことです」
僕たちは「欠陥」とみなすが、自然にとっては欠陥でも何でもない。生物学とは思ったよりも奥深いものだ。そこにはモラルが立ち入る隙きはない。」p.208-209
「僕はそれほど単純ではない。乱れることはあってもきちんと調節さえすればまっすぐ北を向くコンパスのように扱われるのはごめんだ。
友を失うことに、不安を感じた。10年、20年とつきあってきた友に対して、これほどまでに簡単に背を向けることができるのだろうか?
僕が女装しただけで壊れるほど、人のつながりとは弱いものなのだろうか?
僕が感じていた友情は、まぼろしにすぎなかったのか?」p.219
「男に戻るという考えは、悲壮感や孤独感と結びついていた。男と女のあいだには壁もなければ金網もない。あるとしても、それは僕たち自身が、歴史を通じて築き上げてきたものだ。男女はもともと共存している。」p.227
「どんな手段をもってしても憧れを鎮めることができないとき、人は苦しむ」ジャン=ポール・サルトル
「「普通」とはいったい何だろう?
これほど不条理なものはほかにない。習慣から生まれ、主観的に定義される。普通と普通でないことの境界は、体験の頻度によって左右される。何をしようとかまわないーー頻繁にやれば、それが「普通」になる。だから、何が普通で何が普通でないかという問いは無意味に思える。」p.228
「「普通さ」も、恥ずかしさと同じで、厳密に定義することはできない。頻度、習慣、慣れなどのさまざまな要因によって頭のなかに生まれる思い込みの産物だ。
しかし、それがときには凝り固まってしまう。そして普通という名の「絶対」になる。人が、あるいは社会が何かを「普通」とみなすと、それが絶対的な基準となり、基準にそぐわないものを攻撃しはじめるのだ。全体主義とも呼べる状態だ。普通とみなされる範囲内にないものはすべて閉め出され、差別の対象となる。そうして、社会は柔軟さを失っていく。」p.228
「食事をしながら、僕たちはマリアが経験したセクハラについて話し合った。彼女の故郷キエフで起こった連続暴行事件についても話してくれた。当時はペレストロイカの真っ最中、政府や警察が機能していない時期だった。
「誰も市民の安全を守らなかったの。だから男たちが女性を襲いはじめたのよ」マリアは言った。
そこでは、徒党を組んだ男たちがレストランを襲撃したり、女の子にところかまわず襲いかかったりするのが日常だったそうだ。やがて、新しい政府ができて自警団がつくられたことで、女性にとって厳しい時代は終わった。強姦魔を射殺する権限が自警団に与えられているという噂が広まったからだ。」p.235
「「あなた、女装したままキエフに行ってみる?」答えを待たずにマリアは続けた。
「道を歩いているだけで、殺されるわよ』p.235
「実際、ウクライナやロシアなどの東欧諸国の一部では同性愛者を取り締まる法律が強化されている。そうした国々で「普通でない」人間が外を出歩くのは危険だ。下手をすれば、命を落とすことになる。
多民族国家で、ありとらゆる宗教が混在しているインドのような国でも、男女の性別感には、戦争とも呼べるような対立が続いている。その証拠に、インド人女性への暴行致死事件のニュースは後を絶たない。」p.235
「シャルル・フーリエ、ギュスターヴ・フローベル、ジャン=ポール・サルトル、シモーヌ・ド・ボーボワールといった先進的な知識人を排出し、1960年代には性革命の口火を切り、女性を敬う文化で知られているフランスでさえ、同性愛者はいまだにさげすまれ、暴行を受けている。同性愛者の平等をうたう法律制定に反対して、2013年には数千のフランス人がデモ行進を行った。」p.236
「問題はそれだけではない。性転換者に、社会は見向きもしない。性転換者は連日のように迫害を受けているのに、メディアに取り上げられることもなく、そのため市民は問題の存在にすら気づかない。性転換者であるがゆえに、路上で罵倒され、殴られ、侮辱されたことがある人を、僕はすでに何人も知っている。いやがらせをしてくる相手に警察も含まれているというから、驚きだ。」p.236