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精読『全体主義の起源』, 大衆=原子化しているので、自らを組織する能力を持たない。(定義上), 推論の妥当性 - Coggle Diagram
精読『全体主義の起源』
第三章:帝国主義と国民国家体制の崩壊
資本とブルジョアジーの成長は国民国家の枠を乗り越え、それと衝突するようになる。この国民国家と資本との闘争の終着点において、ドイツ・ブルジョアジーは最後にナチスに賭けることになった。その意味において帝国主義の時代は二〇世紀の破局を準備したのである
牧野雅彦. 精読 アレント『全体主義の起源』 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1015-1017). Kindle 版.
帝国主義の目標は何か。端的に言えば、それは権力の拡大そのものである。
牧野雅彦. 精読 アレント『全体主義の起源』 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1063). Kindle 版.
アレントの視点は基本的に政治的な局面におかれている。帝国主義とは、資本とその担い手としてのブルジョアジーによる独特の政治権力拡大運動なのである
牧野雅彦. 精読 アレント『全体主義の起源』 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1073-1075). Kindle 版.
資本主義は余剰資本の所有者とならんで、人間そのものの余剰を生み出す。余剰となった労働力、あらゆる階級から集められた人間の屑としてのモッブと余剰資本とが一つになって国外に流出する。これが帝国主義の時代の新たな特徴なのである。余剰資本と人的余剰が出会ったのが南アフリカであった
牧野雅彦. 精読 アレント『全体主義の起源』 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1101-1104). Kindle 版.
本格的な海外帝国主義を推進したイギリスにおいては、その展開が国外に限定されたために、帝国主義政策の国内政治への「ブーメラン効果」を回避することができたのであった。
牧野雅彦. 精読 アレント『全体主義の起源』 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1133-1134). Kindle 版.
だがなぜ人種主義なのか、と人は問うであろう。人種主義こそが帝国主義に向けてモッブを結集したイデオロギーであり、やがてはナチズムに連なっていくのだと説明されるとしても、なおそれは理性と啓蒙に対する反動の一つ、非合理主義的なイデオロギーの諸要素の、重要であるかもしれないが一つにすぎないのではないだろうか。いや、イデオロギーというにはあまりに曖昧で、非科学的で、まともな思想や教義としての資質を欠いている。そもそも人種主義をまじめに扱うということ自体が人間と思想そのものを矮小化、戯画化するものではないだろうか。こういう疑問が「人種主義」にはつきまとっている。だが、アレントによれば人種主義こそがヨーロッパに生まれた国民国家の体制を掘り崩す主要なイデオロギーなのである
牧野雅彦. 精読 アレント『全体主義の起源』 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1163-1170). Kindle 版.
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人種の観念にはヨーロッパにおける長い前史がある。
官僚制もまたしかりである。
だがそれが時代の空気を根本から変えてしまうような影響力を獲得するためには「暗黒大陸」アフリカというバとの出会いが必要であったとアレントは言う。
No. 1294
経験、想像を超え理解を超えた恐ろしい経験に基づく釈明。
実際、彼らは人間ではないと単純に宣言したくなる。しかしながら、あらゆるイデオロギー的説明にも関わらず、黒人は自分たちが人間としての特徴を頑強に主張し続けたので、『白人』は自分たちの人間性を再考せざるを得ず、自分たちは人間以上の存在で黒人にとっての神々となるべく神に選ばれたのだと考えることにしたのである。
ただし、アレントがここで注目しているのは、たんなる「人種」の観念ではなく、「人種」という観念にもとづいた支配、つまりは政治的な組織化のための装置としての「人種主義」の成立であることに注意する必要がある。
ブーア人たちが他の外国人よりも憎しみ恐れたのは金融家であった。金融家が余剰資金と余剰人員との結合に置いて鍵となる存在であること、本質的に一時的な金鉱堀りをより広く恒久的なビジネスに結びつけるのがその役割であることを彼らはともかく理解していた。
No. 1418
海外進出に後れを取り、充分な植民地を獲得できなかったヨーロッパ大陸諸国の帝国主義は、イギリスのような海外帝国主義とは異なり、当初から本国において展開され、経済上の理由からというよりは「拡大された種族意識」から国民国家の狭隘さに反対する。それゆえにまた大陸帝国主義は当初から人種思想と親近性を有していた。
海外帝国主義におけるモッブと資本の同盟は、南アフリカを例外として、通常は資本が主導権を握るの二台して、藩民族運動の主導権は常に特定のタイプの知識人に導かれたモッブの側に合った。
そうした知識人たちは人種思想を利用してモッブを汎民族運動へと組織していったのである。彼らが提示した対外政策構想ーーーを、ナチズム、スターリニズムは継承していくことになる。かくして大陸諸国に置いては、もともと国民国家そのものの確立が遅れる、ないし不十分なものにとどまったが故に、特定の国民国家の枠を超えた広域の支配圏の観念を伴う汎民族運動が、旧来の国民的な愛国主義の枠を超えた新たなナショナリズム、種族的ナショナリズムへとモッブを動員することになったのである。
No. 1597
第二章:ユダヤ人と国民国家
近代の反ユダヤ主義はナショナリズムの基盤である国民国家の崩壊とともに登場する。
その意味において反ユダヤ主義はたんなるナショナリズムの延長、伝統的な外国人差別や憎悪の急進化などではない。むしろ国民国家を超えるところに反ユダヤ主義とナチズムの共通点、両者が結びつく根拠があった。
反ユダヤ主義、帝国主義、全体主義は、ヨーロッパの国民国家とその均衡の体制の解体の中から登場し、その解体を促進してついには崩壊に導く三つの要素なのである。国民国家の衰退と反ユダヤ主義の興隆との相関関係を検証すること。これが第一部の課題となる。
牧野雅彦. 精読 アレント『全体主義の起源』 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.446-451). Kindle 版.
帝国主義の展開とともにユダヤ人の富の重要性は喪失し、諸国家間の勢力均衡と連帯に依拠しないヨーロッパにとって「非国民的で、ヨーロッパを媒介するユダヤ人分子(nonnational,interEuropeanJewishelement)」は、その無用の富ゆえに憎悪の対象、その権力の欠如ゆえに軽蔑の対象となる。
宮廷ユダヤ人から出発して国民国家の興隆とともに、国民国家相互の金融・外交の媒介者としての役割を担ってきた西欧ユダヤ人は、帝国主義の時代の到来にともなう国民国家体制の解体とともにその地位を喪失したのである。
国民国家においてユダヤ人が他の人間集団とは違った独特の位置を占めていた理由は、何よりもまず彼らユダヤ人が単一の国民国家に帰属するのではなく、国家相互の間の媒介者として担ってきた役割にその根拠があった。
ユダヤ人は、複数の主権国家によって構成されるシステムとしての国民国家の国際体系の発展と不可分の存在だったのである。
ユダヤ人が特定の国民国家の基礎となる社会諸階級に所属しなかったのは、国民国家相互の媒介者としてのユダヤ人の役割の結果であった。ユダヤ人を特殊な集団として維持することは国民国家の利益であり、ユダヤ人自身の自己保存のための利害関心と合致していたのである。政治体としての国民国家との関係によって自己の地位が規定されているという意味においてユダヤ人はまさに「政治的」な存在なのである
牧野雅彦. 精読 アレント『全体主義の起源』 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.486-498). Kindle 版.
ユダヤ人問題を──さらには第二部で問題となる人種主義についても──基本的に政治的な現象として分析するというのがアレントの立場である。
牧野雅彦. 精読 アレント『全体主義の起源』 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.537-538). Kindle 版.
。反ユダヤ主義運動はナショナリズムとは異なり、すべてのヨーロッパの反ユダヤ主義集団の超国民的な組織を目指していたのである
牧野雅彦. 精読 アレント『全体主義の起源』 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.591-592). Kindle 版.
第四章:全体主義の成立
全体主義の成立のためには、〜(前述してきたこと)〜に加えて大衆(マス)という要素が必要となる。
大衆という言葉が当てはまるのは、単に数の多さや無関心から、あるいはこの療法が結びついたために、政党や自治体、職業組織や労働組合などいかなる組織にも共通の利益によって統合することのできない人々のみである。
潜在的には大衆はあらゆる国に存在するし、全く正当には参加せず選挙にも殆ど行かないで中立で無関心な多数の人々の大部分がそうなのである。
階級社会の崩壊というこの雰囲気の中でヨーロッパの大衆的人間の心理は発展してきた。
大衆の一人ひとりに降りかかる運命は単調で空疎なほど画一化されているという事実は、彼らが自分自身の運命を個人的な失敗と考えたり、世界を特別に不正だと考えることを妨げるものではない。
しかしながら、そうした自己中心的な酷薄さは、個人的な孤立のなかで繰り返されるのだが、個人個人の違いを根絶するその傾向にもかかわらず共通の絆とはならない。というのもそれは経済的であれ社会的であれ政治的であれ、なんら共通の利益に基づいていないからである。
この場合には自己中心性は事故保存の本能の決定的な弱体化と手を携えて進むことになる。
事故など問題でハンク、どうでも良い存在なのだという感情、そうした意味における無我というのは、もはや個人的理想主義の表現ではなく、ひとつの大衆現象なのである。
No. 2073
階級社会の解体の中でバラバラにされ、共通の利益さえ持たない大衆を組織するためには、彼らに適したイデオロギーと組織の方法が必要となる。
モッブに適合的なイデオロギーは大衆には通用しない。だが他方で有能なマス・リーダーの多くはモッブの中から出現してくる。
ここに全体主義運動を理解する上での難点がある。
ナチスの指導者や幹部のかなりの部分が、いわゆる階級脱落分子、モッブから来ていたことから、彼らに典型的な種族的ナショナリズムやニヒリズムと言ったイデオロギー的特徴を持ってナチスの本質とされることがあるが、そうした理解は誤っている。
彼らは全体主義運動の初発の担い手として重要な役割を果たすし、そのイデオロギーの一部も大衆組織のプロパガンダの重要な構成要素として組み込まれるのではあるが、その直接の延長線上に全体主義運動並びに体制は成立しない。両者の間の関連と断絶が『全体主義の起源』第一部・第二部から第三部への最大の論点である。
階級社会の崩壊によって生活の基盤を根こそぎ奪われて、故郷喪失の状態に置かれ、バラバラに孤立した大衆の願望、もはや彼らが適応できなくなった世界から逃避する一方で、何らかの一貫した拠り所を求める願望こそが、全体主義のプロパガンダを可能にする前提である
第五章:イデオロギーとテロル
人々がイデオロギーの強制に服するのは、イデオロギーの内容ー抑圧からの開放とか民族の優位と言った主張ーに共鳴するからではなく、そのイデオロギーから導き出される「観念」の論理的強制力のゆえにである。
論理のプロセスの持つ有無を言わさぬ強制こそ、経験を頼りにこの世界で生きていけなくなった人々に革新を与えることができるからである。
イデオロギーの論理による強制に屈服することで、人はない的な自由という人間の根源的な能力を放棄するのである。
内的な自由とはなにか新たなことを始める能力そのものであり、複数の人間によって構成される政治的空間における活動の自由と表裏一体のものである。
複数の人間がともに生きるという政治活動の経験には、何かを新たに始めるという要素が含まれている。
ここには『人間の条件』や『革命について』で展開される政治活動と権力の新たな概念ー人間の複数性という条件のもとで行われる「活動」と、そこで生まれる力としての「権力」ーへの支店がすでに示されている。
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