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2018/04/06 (1850年代 (1854 (ペリー (2月3日 (幕府 (承認 (漂流民保護, 薪水食糧給与), 通商は難しい),…
2018/04/06
1850年代
1850
幕府が佐渡その他海岸用地に大地を築く。
江川英竜
伊豆韮山(たんなん)に反射炉を築く。
鉄砲の鋳造・領内及び江戸藩邸内での軍事調練を
幕府に願い出る大名が多数出てくる。
嘉永3年
1852
嘉永5年
5月
武蔵大森の大砲演習場が完成する。
旗本・諸藩士に使用が許可される。
1853
嘉永6年
6月
3日
ペリー来航
アメリカ東インド艦隊司令長官
遺日国使として軍艦4隻を率いて浦賀へ来航。
9日
幕府は久里浜でアメリカ大統領フィルモアの国書を受領する。
15日
ペリー来航を幕府が朝廷へ報告する。
12日
ペリーは国書の回答を来年に延期することを認め、琉球へ去る。
7月1日
幕府は国書を諸大名へ示し意見を問う。
幕府が命じる
山路諧孝
天文方蘭書翻訳御用兼帯
異国書簡横文字和解御用掛
杉田成卿
天文方の蘭学者
翻訳業務
7月
18日
ロシア使節獄等艦隊司令官プチャーチンが、
軍艦4隻を率いて長崎へ来航する。
9月
15日
幕府が大船建造の禁を解く
オランダに軍艦・鉄砲・兵書などを注文する。
1854
安政元年
ペリー
1月16日
軍艦7隻を率い、再び神奈川沖へ来航する。
2月3日
神奈川で交渉開始
幕府
承認
漂流民保護
薪水食糧給与
通商は難しい
3月3日
日米和親条約
神奈川条約
下田・箱館2港を開く
3月
24日
幕府が下田奉行を再置
5月
4日
大西洋帆船鳳凰丸が竣工
浦賀造船所
22日
下田条約
日米和親条約附録協定を調印
6月
30日
幕府、箱館奉行を再置する
8月
23日
日英和親条約に調印
幕府が約束する
長崎・箱館開港
9月
2日
幕府が約束する
オランダ
1855年12月23日
日蘭和親条約を締結する。
下田・箱館開港
12月
2日
江戸六ケ所に講武場ができる
21日
日露和親条約を下田で調印
開港
下田
箱館
長崎
エトロフ・ウルップ島間を国境とし、樺太を領国雑居地と定める。
1855
安政2年
6月9日
オランダ国王が、蒸気船スンビン号を幕府へ贈る。
後の観光丸
7月29日
長崎に海軍伝習所を設ける
8月30日
古賀謹一郎
洋学所頭取に任じられる
1856
2月11日
洋学所を蕃書調所と改称する
4月13日
江戸築地に講武所が開く
8月21日
箱館に諸術調所が設置される
10月27日
大久保忠寛
蕃書調所総裁に任じられる
1857
1月18日
蕃書調所開業
4月11日
幕府が築地講武所内に軍艦教授所を設置する
後の軍艦操練所
5月4日
蕃書調所の教授手伝い並みに就任
西周
津田真道
8月29日
日蘭追加条約を長崎で調印
事実上初の通商条約
9月7日
日露追加条約を長崎で調印
長崎・箱館で通商許可
12月
1日
大島高任
釜石で洋式高炉を完成、精錬に成功。
11日
日米通商条約交渉が始まる
ハリス
井上清直
幕府全権の下田奉行
岩瀬忠震
目付
1858
5月20日
幕府が洋書の研究を推奨する
6月19日
日米修好通商条約及び貿易章程に調印
7月
8日
海防掛が廃止される
外国奉行設置
修好通商条約調印
10日
オランダ
11日
ロシア
18日
イギリス
9月3日
フランス
駿河学問所が設置される
明新館
1859
5月28日
6月から開港
神奈川
長崎
箱館
自由貿易を許可する
ロシア
フランス
イギリス
オランダ
アメリカ
1810-1830年代
1811
5月
天文方に蛮書和解御用掛を設ける
「厚生新編」の翻訳編集開始
馬場貞吉
大槻玄沢
文化8年
1813
文化10年
9月
ゴロウニン事件
松前奉行所に捕らえられていたゴロウニンたちが、
高田屋嘉平らと交換する形でロシア船長リコルドへ引き渡される。
1824
文政7年
5月
イギリス捕鯨船員が、薪水を求めて常陸国大津浜へ上陸し、
水戸藩に捕らえられる。
この年に水戸藩は、イギリス捕鯨船と交易した漁民300人を捕らえる
1825
文政8年
2月
異国船打払令
幕府が諸大名へ異国船の打ち払いを命じる
1828
文政11年
12月
シーボルト事件
幕府が、シーボルトを出島へ幽閉する
オランダ商館医師ドイツ人
1835
天保6年
4月
小関三栄
蛮書和解御用を命じられる
1837
天保8年
6月
モリソン号事件
アメリカ船
漂流民を護送して浦賀へ入港したモリソン号を、浦賀奉行が砲撃した。
1839
天保10年
10月
杉田成卿
蛮書和解御用を命じられる
12月
蛮社の獄
渡辺崋山が蟄居を命じられる
高野長英を終身禁獄になる
1800年代
1800
3月
幕府、学問所への諸士の入学を許可。
寛政12年
1802
享和2年
幕府、蝦夷奉行を置く
後の箱館奉行
戸川安倫・羽田正養をこれに任ずる。
1804
文化元年
9月
ロシア使節レザノフ
長崎へ漂流民を護送する
幕府に通商を要求
1805
3月
幕府はレザノフの通称要求を拒否する
長崎奉行や漂流民を引き取らせる
以後、漂流民の送還はオランダを仲介とすべきと伝える。
レザノフは長崎を退去する。
1807
文化4年
10月
幕府、箱館奉行所を松前へ移す。
松前奉行と改称
1808
文化5年
2月
幕府、長崎通詞6人に、オランダ商館長ヅーフよりフランス語を学ばせる。
1809
文化6年
10月
幕府、オランダ通詞にロシア語、英語を学ばせる。
1840年代
1840
5月
長崎奉行に命じ、オランダ風説書に以後原文を添付させる
7月
アヘン戦争情報
オランダ船が長崎へ入港し、アヘン戦争の勃発を伝える。
9月
高島秋帆
砲術の様式化を求める意見書を幕府に提出
1841
5月
幕命により西洋砲術の調練を徳丸原で行う
天保11年
1842
天保13年
7月
異国船打払令を廃止する
薪水食糧令を出す
1844
弘化元年
7月
オランダ国王ウィレム二世の開国勧告
オランダ軍官が長崎へ来航する。
使節コープスが、開国を勧告するオランダ国王書簡を幕府へ呈上する。
1845
弘化2年
6月
幕府がオランダ国王に開国勧告を拒否する返書を送る。
7月
海防掛を設置する
1846年
弘化3年
閏5月
アメリカ東インド艦隊司令官ビッドルが浦賀へ来航し通称を求める。
幕府は拒否する。
1849
嘉衛2年
閏4月
幕府が海防策の諮問を行う。
学問所
三奉行
民間
1790年代
1792
9月
ロシア
ラクスマン使節
カムチャッカに漂流した大黒谷光太夫を伴い根室に来航、通商を求める。
湯島聖堂
第一回学問吟味
寛政4年
1796
寛政8年
甲府学問所設置
微典館
1797
寛政9年
12月
湯島聖堂
管理が林家から幕府直轄へと移る
学問所と改称
1798
寛政10年
7月
蝦夷地調査
~1799
近藤重蔵ら
エトロフ島
「大日本恵登呂府」の標柱
1860
1月
18日
遣米特使外国奉行が出航
19日
軍艦なんちゃらアメリカへ出航
3月3日
桜田門外の変
井伊直弼が水戸・薩摩浪士たちに殺害される
6月
20日
諸藩士の軍艦操練所入学を許可する
24日
勝海舟
蕃書調所頭取助に就任
8月26日
日光学問所が設置される
修道館
1861
6月
10日
蕃書調所に仏学科設置
29日
箕作 麟祥
みつくり りんしょう
蕃書調所英学教授手伝い並に就任
10月
横浜英学所が設置される
12月22日
幕府遣欧使横浜を出航
開市開港延期交渉
箱館に英語稽古所が設置される
公文書館
公文書館行ってみた。
前に、日本国憲法展をしていた時、気にはなっていたけど行けなかった。
江戸幕府、最後の闘い 幕末の「文武」改革
『江戸の読書会』前田勉
漢文を学ぶときは、意味が分からなくていいから、何度も声に出して読んで、暗記する。
暗記したら、意味を学ぶ。学んだことへの意見を語る。
日本軍事史
行習斎規
この頃の学生は、政治的は話をすることを、はっきりと禁止されていたんだ。
1862
2月11日
蕃書調所に数学科が設置される
神田孝平
5月
9日
ロンドン覚書
開市開港5年間延期
8月に、ロシア、オランダ、フランスとも調印する。
刑務所の「いま」を知る写真展
行きたかったけど、開場に着いたのが閉館後だった。5時には終わっちゃうんだね。
言葉の使い方で、幕府の諸外国への態度の変遷がうかがえる。