Please enable JavaScript.
Coggle requires JavaScript to display documents.
日本デザイン論 (線は最も単純であり、一次元的であり、東西の発想概念の相違がもっとも典型的に視覚化されているだろう,…
日本デザイン論
線は最も単純であり、一次元的であり、東西の発想概念の相違がもっとも典型的に視覚化されているだろう
曲線も直線も線というもののひとつの変形にすぎない。
曲線は直線のヴァリエーションにすぎなかった
力と板の属性こそ形を決めるモメントであった。
縄だるみ曲線では、その反対、つまり直線は曲線の変形である。
本質的にはそれらの線は対立したものであるとは、日本人たちは考えてこなかったようにみえる。
日本人にとっては、線とは元来形のないもの、または形のきまらないものであり、その不定の線が形を決めるモメントが力であると考えられてきた。
日本人の間では直線と曲線とは、起源を異にするまったく異質のものではなくして、本質的には不定の線を母体として力によって生み出された双生児にすぎなかった
そして力を加えて形を考えることは、構造的安定性と造形的可能性の極限状況を考えることであった
西洋の線の創造に対する発想の仕方は、日本のそれとはまったく対照的なものである。西洋においては、直線と曲線という見かけのうえでの対立は、同時に質的な対立であり、本質的な相違であった。
考えてみれば、長く外に突き出た軒はモンスーン地帯の建築の共通の特徴である。
自然と人間とがこんなにも親愛の情に満ちて結び合い、手を取りあい、情をかよわせうるのも、この深い軒があったためである。
私たちが鳳凰堂を一建物とみるのは、正確にいえば、物理的には別々の建物が心理的に一建物にみえるにすぎないのだ
東洋にあるのは、ひとつの建物の調和であり、西洋にあるのは、複合的に構成されたいくつかの建物の対比の美である。
軒は建物と建物とを視覚的につなぐに重要な役割を果たしてきた
人間のつくった空間と自然がつくった空間等をつなぐのに、軒はなくてはらないものであった。
「つなぎ」の性格
軒下→「灰色の場」
ピヴォッティング・スペース
結界の機能の重要な点は、区切りながら同時につなぎの役割を果たしている点にある。
鴨長明 「永遠とは変化のひとつのパターン」であるということ
日本の庭が永遠を求めていることは常緑の木を多く使っていることでもわかると。しかしそれは古代的な永遠であって、永遠を変化のパターンの一種としてみる末世的な永遠とは違う。
中世的な永遠の表現=「無常のデザイン」→庭園における永遠は、変化の相(パターン)としてとらえられ、刹那に変わる自然の美しさと均衡が求められなければならなかった。
無常のデザインが造園デザインのなかで特徴的にあらわれるのは、樹木庭