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言語に正しい,正しくないはあるのだろうか (正しいの定義 (「正しい日本語」という言い回し (若者言葉は正しくない?…
言語に正しい,正しくないはあるのだろうか
正しいの定義
「正しい日本語」という言い回し
若者言葉は正しくない?
通じるけど正しくないという人はいる
過去の人から見れば現在の日本語は正しくないのでは
同様のニュアンスを持つ言葉に美しい日本語というものがある
この場合美しさは主観的なもの
であれば「正しさ」も主観的なものでは?
主観的な「正しさ」は存在する
多くの人が同じ概念を共有していればそれは一般的な正しさといえるのでは
誰にとって正しいか
「正しさ」は言語そのものではなく環境に発生するのでは
レポートで砕けた言葉使ったら流石にあれだろう
TPOわきまえろ
だけど通じてはいる
通じるけど正しくない,という状況は発生しうる
主観的,「常識」的に正しくないと思える
この常識とは主観であるが,多くの人が共有する考え方である
「常識」が違えば「正しさ」は違う
主観は個人的なものであるが,それがある共同体内で広く共有されていれば常識となりうる
過去には方言を抑圧する取り組みがあった
現代の「常識」を持つ我々からすれば,野蛮で非人道的とさえ感じる
が,当時の人々,少なくともそういった政策を施行していた人々にしてみればそれが「常識」であり「正しい」と信じていた
授業でこの話を聞いてショックを受けた
結論
正しい,正しくないは存在する
が,個人,集団,環境,世代,時代によって異なる
一般にいえる絶対的な正しさは存在しない
多様な価値観を認めようという動きはある
個人の価値観によって正しいかどうかを判断することはこれを否定することになる
が,正しくないと思うのも他ならない一つの価値観である
ある価値観を認めないというのも一つの価値観であり,多様な価値観厨はこれを否定すると自己矛盾に陥る
通じるとしても正しくないという人はいる
正しさは価値観によるもので,価値観は人とかによって異なる
言語に正しさを付与する価値観は存在する