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水俣病レポート (補償 (1975年 熊本県魏が「(認定)申請者の中には補償金目当ての偽患者が多い」と発言 (1995年 …
水俣病レポート
補償
1975年
熊本県魏が「(認定)申請者の中には補償金目当ての偽患者が多い」と発言
1995年
週刊新潮「特集『ニセ』水俣病患者 260万円賠償までの40年」
掲載
1977年
環境省は認定基準を厳格化
認定申請は自己申告制
水俣病を名乗り出たものは金欲しさとの偏見を持たれることも
水俣病に対する理解が足りない
重度の症状でないと認められない
自分は水俣病でないと考える人も少なくなかった
漁業にとって水俣病はイメージダウンになる
町が,漁協がタブー視していた
患者認定の申請をする人に非難の言葉を投げた
2005年
新保険手帳制度
水俣病とは認定されないが医療費の自己負担が免除になる
症状について
1953年ごろ
水俣湾で動物に異変
1954年
猫の発病
新聞に「水俣の一部地域で猫全滅」
1956年5月 初めて患者の発生が報告される
その年の末には54人の患者が確認される
すでに17人が死亡
1957年 水俣病と呼ばれるようになる
1959年
食品衛生調査会常任委員会 有機水銀化合物を原因とし,水俣湾産魚介類の大量摂取で起こる疾患との見解発表
1966年
新潟で水俣病患者の発見
1968年 政府統一見解
チッソ水俣工場のアセルアルデヒド・酢酸製造工程中で発生したメチル水銀化合物が原因と断定
1956年 熊本大学医学部水俣奇病研究班発足
魚介類を介した重金属中毒であると発表
水俣湾の魚介類を猫に食べさせる実験を開始
1957年
猫の発病を確認
水俣湾で取れた魚介類が原因であることを突き止める
1959年7月
熊本大学医学部
チッソの排水口から有機水銀の流出を示す証拠を発見したことから原因物質は有機水銀であると発表
カラスが飛ぶ力を失い地面に落ちる
猫は脚がふらつき,よだれを垂らし始める
突然走り出し,壁に激突 川や火に飛び込む
歩行障害
視野狭窄
身体のしびれ,震え
感覚障害
聴覚障害
化学工場から海や河川に排出されたエチル水銀化合物を体内に高濃度に蓄積した魚介類を日常的に食べた住民に発生した中毒性の神経疾患
チッソについて
1906年
鹿児島県大口市
曾木電気株式会社設立
1908年
日本窒素肥料株式会社に改称
水俣工場で空中窒素固定法による石灰窒素の製造を開始
最先端の技術で化学肥料を作り,食糧増産の国家事業に寄与
豊富な用水,自前の発電力,天草の石灰岩や石炭を活用し増産を重ねる
アセルアルデヒドを生産
プラスチックなどの化学物質の原料として大きな需要
チッソの納める税額が水俣市の税収の50%を超える
チッソ社員は尊敬の的
1950年
元水俣工場長の橋本彦七が市長に就任
政治面の影響力も強まる
社会的背景
被害が拡大して患者が増えてくると,チッソ日する対応や補償を巡って漁民とチッソ関係者,患者とそうでない人たちの間に対立が生じ,差別や偏見も生まれた