Please enable JavaScript.
Coggle requires JavaScript to display documents.
クリエーターの生臭〜い話 (海外展開 :star: (留学している友人に海外の話はよく聞いたりする。, 海外には動画が拡散すると、注目され連絡が来た…
クリエーターの生臭〜い話
-
-
資金調達 :star:
-
自分のメニュー設定をちゃんとつくる。
自分のプライスリストをつくっている。
仕事の依頼があった時は見積りを出して交渉。下がる時ももちろんあるが、最初はちゃんと提示しておくことが大事。
日割り、実費など、いくらが妥当か自分で考えておく。
現在の働き方に至ったきっかけは? :star:
-
もともと精神科医になろうとしていた。ラジオに出て命名されて、シブハウスに。VJやDJをしながら、テクノロジー魔術を目指して今の会社の立ち上げに。自分の作家活動を自由にやらせてもらえるけど、会社の仕事もしながら。プロトタイピングで作ったりする。(ゴスピ)
-
学生時代から美大で制作をしていて、卒業後も制作していた。AAC助成でNYに約3ヶ月間行っていた。そこで色んなキュレーター・アーティストと交流し、展覧会のオファーももらった。SNSで作品の動画が拡散されて注目された。(INOMATA)
前職は副業OKだった。フリーでやっていたらそのままうっかりフリーランスに。メディアサイトの編集と制作ができる人はあまりいないので、守備範囲広くやっている。週2で行っている会社で固定給はある。新規サービスを考えているので、バランスを取りながらやっている。アートサイエンスに関する本も出版予定。(八木)
-
かつてNHKのデジスタに出た。そこからつながりがあり、学生からそのままフリーで活動。ワークバランスとしては、アート(2割)・クライアントワーク(5割)・ソーシャル活動(3割)で活動している。311以降ソーシャル活動が増えた。(くろやなぎ)
大学でメディアアートを勉強していた。周りがコンペとかに出していて、焦り自分もどんどん出していた。メディア芸術祭、学生CGで受賞。卒業後秋葉原の電子パーツ屋で働きながら制作。海外に行く機会があり、そこから街をくるむ現在のスタイルに。(力石)
大学在学中にアートフェスティバルのリサーチャーになった。メディアアーティストのリサーチに関わったので、そこから今の研究室にはいった。手話通訳士の仕事もしている。専門の仕事から新しい仕事につながったりする。お金をどうやっていくか考えている。(和田)
-
浪人時代にアートマネジメントに興味を持ち、美学校のアートマネジメントのクラスを受講。そこから大学でもアートマネジメントを学び、アーティストと近いところでアーティスト・クリエイターが表現していく場をつくらなければと思い、卒業後すぐにフリーランスに。アートと何かをつなぐ仕事をしているので、「アートメディエーター」と名乗り様々なプロジェクトに関わっている。(冠)
大学を2回行っている。伊藤ガビンさんのボストークでお世話になりメディアートの展覧会企画制作に携わったことがきっかけ。そこで今も繋がりの ある
たくさんの人に会えた。今はフリーでマガジンハウスに所属して、作品制作している。マガジンハウスではウェブディレクターしている。(ドリタ)
-
-
-
-
-
-
-
-