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日本会議と
教育への介入 (安倍政権や自民党
との関係 (詳しい資料 (草の根保守の蠢動, 関連書籍「日本会議の研究」), 安倍政権の黒幕!?…
日本会議と
教育への介入
安倍政権や自民党
との関係
日本最大の右派団体「日本会議」と安倍政権のただならぬ関係〜なんと閣僚の8割が所属
みんな、そこでつながっている Link Title
安倍政権の黒幕!? 右派団体「日本会議」とは何か
その起源から動員力の秘密まで Link Title
日本会議の事務局は「日本青年協議会」(日青協)という右翼団体だ。'70年安保のころ誕生した民族派学生運動に源流を持ち、運動の担い手は、生長の家の創始者・谷口雅春(1893~1985年)の皇国思想を奉じる学生信徒たちだった。
安倍政権の黒幕「日本会議」のナゾと、支配されたマスコミの危機〜「憲法改正」に向かう不気味なものの正体 Link Title
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彼らは先の戦争を
侵略とは認めていない
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加藤紘一が10年も前に予見していた「日本会議の危うさ」
歴史を見通す確かな眼力 Link Title
前身は1974年、臨済宗円覚寺貫主・朝比奈宗源の呼びかけで結成された「日本を守る会」だ。この会には、生長の家の創始者で皇国イデオロギーの鼓吹者である谷口雅春のほか神道、仏教、キリスト教など宗教団体の最高指導者や文化人らが集まった。「守る会」は1977年夏、元号法制化を求める国民運動をはじめる。そのとき会の事務局に加わったのが、日本青年協議会(生長の家の学生OB組織)の書記長だった椛島有三(今の日本会議の事務総長)だ。椛島は天性のオルガナイザーで、大衆運動の戦略・戦術に長け、彼の一声で動き出す若者が全国各地に大勢いたという。
運動の盛り上がりを受けて1981年、宗教界、財界、政界、学界などの代表者約800人を集めた「日本を守る国民会議」(宗教人・文化人のみで作る「守る会」と事務局は同じ)が結成された。この「国民会議」と「守る会」が合併して日本最大の右派団体・日本会議が誕生するのは、16年後の97年のことである。
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加藤紘一氏は、当時自民党を代表するリベラル派(改革派)。自民党には戦前の日本が美しいとする保守派(右派)が多く、自民党だけではアジアへの謝罪をすることはしなかった。社会党と連立内閣を組んだときに、社会党(左翼)の村山富一首相が発表したのが「村山談話」。文面の調整役を務めたのが、当時の幹事長の加藤氏。自民党右派は本当は侵略だと思ってないが、歴代内閣は外交上「村山談話を踏襲しています」と言って、謝罪の気持ちがある風に装っている。
歴史の改竄
彼らはその思想を「自由主義史観」と呼ぶが、その実態は
歴史の事実を自分たちに都合よく改竄しているだけである。
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関連情報
朝日新聞は、日本会議の事務局の中枢は、生長の家の出身者が担っていると報道している[86]。また、朝日新聞では、友好団体・提携団体として、美しい日本の憲法をつくる国民の会(主宰は櫻井よしこ他)、皇室の伝統を守る国民の会、「21世紀の日本と憲法」有識者懇談会(民間憲法臨調)、「日本の教育改革」有識者懇談会(民間教育臨調)、みんなで靖国神社に参拝する国民の会を挙げている[86]。また、日本会議を支える主な人々として、事務総長の椛島有三のほか、政策委員の伊藤哲夫、高橋史朗、百地章を図解入りで示した[86][注 4]。
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塚田穂高は、2016年の時点で、日本会議の顧問5名がのうち4名が宗教関係者(うち3人が神道関係者)であり、代表委員41名のうち17名が宗教団体・修養団体関係者、とくに、神社本庁関係者も参画しているということや[1]、神社本庁、解脱会、国柱会、霊友会、崇教真光、モラロジー研究所、倫理研究所、キリストの幕屋、仏所護念会、念法真教、新生佛教教団、オイスカ・インターナショナル、三五教等、宗教団体や宗教系財団法人等が「守る会」以来の繋がりで参加しているとしている[1][3]。また、日本会議の理念と神社本庁ならびに神道政治連盟の理念に、明確な違いがほとんど見られないと述べている[3]。
神奈川新聞取材班は、美しい日本の憲法をつくる国民の会は、日本会議前会長・名誉会長の三好達が共同代表を務め、「憲法改正を実現する1000万人ネットワーク」と銘打ち、署名活動を行っている、と述べている[90]。