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memo (経験 (気になるもの (サザエさんの髪型, イヤリングの揺れ, 血管のピクピク, 福助の塊感), 気になることば (ヘモグロビン的単語…
memo
言語
ヒップホップ
韻
文学
鴨長明
方丈記
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 よどみにうかぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。 世の中にある人と棲(すみか)と、又かくの如し。
現代語訳
流れる川の流れは絶え間ないが、しかし、その水はもとの水ではない。 よどみの水面に浮かぶ泡は消えては生じ、そのままの姿で長くとどまっているというためしはない。 世の中の人と住まいも、これと同じなのだ。
無常
この世の中の一切のものは常に生滅流転 (しょうめつるてん) して、永遠不変のものはないということ。
堂島リバービエンナーレ
レトリック
身体
脳
デフォルトモードネットワーク
ひらめく
ひらめきの正体はDMN
ボーとする
無意識に計算してる
座禅
座禅はDMN
DMN
44:00座禅について
51:00 脳のネットワークについて
巡回セールスマン問題
デフォルト‐モード‐ネットワーク(default mode network) なんらかの思考や関心や注意を伴わない、ぼんやりと安静状態にある脳が示す神経活動。 脳の血流量の変化を可視化するfMRIを用いると、何もしない安静時にのみ、活動が活発になる脳の領域が複数存在し、互いに同期することが明らかになった。
DMNに関わる論文、記事
まばたきの新たな機能を発見
意識的な反応に使われる脳エネルギーの20倍
脳の60〜80パーセント程度がDMNの消費
NHKスペシャル
脳はボーとしてる時の方が頑張ってる
禅
空
笑い
視覚
聴覚
経験
ゆっくり動くもの
水滴
似ているもの
気になるもの
サザエさんの髪型
イヤリングの揺れ
血管のピクピク
福助の塊感
見てしまったもの
葉っぱが空中でくるくるしてた
確かめたくなること
似ている人の顔
思い出すきっかけ
部屋の匂い
ボーとする
気になることば
メモした単語
ローカル
スケッチ
絵空事
糊付け
空回り
パノラマ
円形や多角形の建物の内部の壁面に風景を描き,その前に人形などを置き展観させる見世物もパノラマと呼ばれ,これは 18世紀末にイギリスで始り,19世紀に各国で人気を博した。
ヘモグロビン的単語
どんぐり
デッチアゲ
ひざ小僧
どろだんご
にぎりめし
ポン菓子
へもぐろびん
つぼに入る
ぼろぞうきん
ぼた餅
ともぞう
落し蓋
ふにおちる
袋小路
なんかいい歌詞
toe
レイテストナンバー
ガラリ 更に 廻り
繰り返す 未来が依頼
鍵になる 偶像を
破棄しない絵にどうだい
建築
寺
インスタレーション
関係性
思弁的実在論
自然
小さな音
投入堂
源光庵
美術
チャールズ・イームズ
Powers of Ten
投影に関して
高松次郎
「影」
マルセル・デュシャン
大ガラス
xdx + ydy = 0 : 3次元(大ガラス)
x2 + y2 = r2 : 4次元の絵画(メタ大ガラス)
高次元を表したいときは微分する
ひも理論における11次元の説明
低次元は高次元の投影
クリスチャン・マークレー
Christian Marclay. Cigarettes. Arles 2016
コロニアル
ポストコロニアル
ポストコロニアリズム
オリエンタリズム
東洋趣味
異国趣味
ジャポニズム
ジャポニズムの影響
エキゾティシズム
本来は自国に見られない風土や風俗への漠然たる好奇心から始まったもの
芸術上の趣味
自国の環境から離脱したいとする現実逃避の気分が結びつく
オリエント世界(西アジア)へのあこがれに根ざす、西欧近代における文学・芸術上の風潮。東洋趣味。
オリエンタリズム批判
オリエンタリズム批判は、ヨーロッパの《眼差し》の微細な働きを暴露する のには間違いなく成功している
オリエントのオリエント化
他者の他者化
他者化
啓蒙主義的主体
ブルジョワ的主体
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「他者の他者化」によって「頑迷さ、受動的、依存的、感情的、非論理的」といった要素を未開人や女性や下層階級などの「他者」に押しつけて、自分たちを「能動的、自律的、理性的、論理的」といった普遍的な価値を有する主体(これが啓蒙主義的主体である)と見なすことができるというわけである。
:check:
能動的
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受動的
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他者化=自分が普遍的な価値を有する主体とみなすこと
「未開」や「野蛮」
植民地の人々の社会や文化が「未開」や「野蛮」といった否定 的なイメージで語られる一方で、エキゾティシズムの対象として消費の対象 としても位置付けられていった
観光のまなざし
中産階級的なモラル (勤勉、清貧、禁欲)から解放される場所
前近代的な「共 同体」や「温情」が残る場所
都 市下層の人々の生活がロマン化される、「貧困の文化化(culturalization of
poverty)」
植民地主義的な考えから観光が生まれる
観光
資本主義
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オリエンタリズム的 な二項対立
「近代/前近代」
「道徳(moral)/不道徳(immoral)」
「先進国/途上国」
他者化から共感へ
釜ヶ崎のまちスタディ・ツアー
ツアー参加前 に支配的であった自己・他者間の固定化されたまなざしが次第に融解してい く側面を明らかに
ツアーの経験はいかなる意味を持ち得るのかという 点について、反貧困という視点から考え
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『同化と他者化 戦後沖縄の本土就職者たち』
岸政彦
「それぞれの小石」
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沖縄というものに自分を投影
日本のなかで沖縄が特別
構造的に同じものとして捉えていない
同化と他者
要するに、沖縄人を日本人化しようとすることそのものが、沖縄は日本ではないという端的な事実を明るみに出してしまうのである。少なくともそこでは、沖縄と日本との、文化的、歴史的、社会的、政治的なあらゆる差異が、むしろ拡大されてしまうのである。
ノスタルジー
帝国主義的ノスタルジー
帝国主義あるいは植民地主義の文脈で、支配者や統治者が、現地の人たちや先住民に抱くノスタルジー感情のこと
オリエンタリズム批判と近代のアイデンティティ
エドワード・サイード
レヴィ=ストロース
『今日のトーテミズム』
植民地的
アンディ・ウォーホル
エンパイア (1964年の映画)
ヴェクサシオン
エリック・サティ
一分前後のピアノ曲
840回中断せず13時間38分繰り返すよう指示した演奏
ジョン・ケージ
寺山修司
映像
小瀬村 真美
http://www.lib.geidai.ac.jp/APHD/hakubi137.pdf
デザイン
物理学
量子力学
空
仏教
思考が実体化
思考は物理現象に影響を及ぼす
量子コンピュータ
量子コンピュータ
15:20最適化問題
21:23 巡回セールスマン問題
巡回セールスマン問題
巡回セールスマン問題
コペンハーゲン解釈
量子力学の解釈において、「粒子 - 波動」の二重性を物質の根本的性格として承認する立場。実在論や決定論と対立する。コペンハーゲンのボーア研究所を中心にして展開された。
光は波でもあるし粒子でもある
粒子と波動の二重性
ヤングの干渉実験
http://photonterrace.net/ja/photon/duality/
宇宙
宇宙人
ひも理論
https://www.youtube.com/watch?v=7y_BlA3ZTeQ
カラビ・ヤウ多様体
カルツァ=クライン理論
14:47 電線とアリの説明
曲芸師とノミ
未解決の謎の
余分な次元
弦理論やその他の新しい提案では、3つ以上の空間次元が必要です。これらの余分な寸法は非常に小さい可能性があるため、表示されません。 どうすれば余分な、より小さな寸法がありますか? アクロバットとタイトなロープのノミについて考えてください。アクロバットはロープに沿って前後に移動できます。しかし、ノミは左右に動くだけでなく、前後に動くことができます。ノミが片側に歩き続けると、ロープの周りを回り、開始点から巻き上げられます。したがって、アクロバットには1つの次元があり、ノミには2つの次元がありますが、これらの次元の1つは小さな閉じたループです。 そのため、アクロバットはロープの1次元以上を検出することはできません。3次元でしか世界を見ることができないように、たとえもっと多くの次元があるとしてもです。これを視覚化することは不可能です。正確に言えば、3次元でしか視覚化できないからです!
ストレンジャーシングス5話の元ネタ
"ノミと曲芸師" "Chapter Five: The Flea and the Acrobat"
ザ・ダファー・ブラザーズ Alison Tatlock ホッパーは研究所に忍び込み奇妙な黒い根を見た後、所員に注射で昏倒させられる。家で目覚めて盗聴器を見つける。前夫のロニーも来てウィルの葬儀が行われる。採石場の持ち主を訴えたいだけだと知り、ジョイスはロニーを追い出す。ホッパーはジョイスに、ウィルの遺体が偽物であった事を話す。少年たちはウィルが並行世界にいると信じ、クラーク先生に助言を受けて、方位磁石で磁場の変化を調べてゲートを探す。エルはかつてソ連のスパイを偵察させられた時に怪物に出くわしたことを思い出し、磁場を攪乱して研究所を避けようとする。これに気付いたルーカスは怒り、エルはルーカスを気絶させて逃げ出す。ナンシーとジョナサンは、森でバーバラとウィルの失踪に絡む怪物を探す。ナンシーは怪物が瀕死の鹿を連れ去るのをみて追い、木の根元に開いた洞穴に入る。
高次元
ジョセフ・ポルチンスキー
説明
00:15:00と00:34:00ごろ次元の説明
点に見えるのは低次元で見てるから。
本来は11次元でエネルギーが膨大に隠されているがだが我々は低次元でしか見れないから点に見える
より小さい視点、よりミクロに移すと見えていない次元が出現する。
上空からロープを見るとそれはただのヒモ。ロープを渡る人、ふと下を見るとてんとう虫がいる。
線ではなく面に見える
ミクロで見ると見えていない次元が見える
Qブラックホールは点(素粒子がぜんぜん動けいない)何なのになぜエネルギーがあるのか。
Aそれは4次元で見てるから点に見えるだけで10次元で見れば点ではないから
4次元=素粒子はぜんぜん動けない(ように見える)
10次元=素粒子はたくさん動ける
ミクロで見るとマクロで見えていなかった高い次元が見えてくる
次元=動くことのできる座標の数
0次元空間が点 (方向がない世界)
1次元空間が線 (上下だけの世界)
2次元空間が面 (上下と前後だけの世界) マリオの世界のようなイメージ。
3次元空間が立体 (上下と前後と左右のある世界) 我々の世界です。
4次元空間が、上下と前後と左右と、もう一つの方向があるような世界です
3次元では、金太郎飴を切断すると、断面は2次元の絵になります。
4次元版の金太郎飴を切断すると、断面が3次元になります。
異次元や並行世界の根拠はミクロの世界の点(ブラックホールの点)が11次元だから
プレイヤー(3次元)から見るとマリオ(2次元)は上下左右に動いてるだけ。
マリオが見る3次元的空間は横から見るとペラペラの2次元
弦理論
南部 陽一郎
デビッド・グロス
M理論
現在知られている5つの超弦理論を統合するとされる、11次元(空間次元が10個、時間次元が1個)の仮説理論である。尚、この理論には弦は存在せず、2次元の膜(メンブレーン)や5次元の膜が構成要素であると考えられている。
倒れる鉛筆
南部 陽一郎
熱力学
熱力学第二法則
クラウジウスの原理
トムソンの原理
エントロピー増大の法則
コーヒーにミルク
一箇所に集まった状態→バラバラに散らばった状態
「宇宙は、時間とともに、エントロピーが増大する」
生物学
分子生物学
福岡伸一
動的平衡
方丈記
ルドルフ・シェーンハイマー
「生命とは代謝の持続的変化であり,この変化こそが生命の真の姿である」
目の前のネズミは昨日と同じネズミだが,その中では恐ろしいスピードで物質が入れ替わっていて,それはまさに「物質の流れ」なのである。
生体の中で合成と分解を繰り返している反応で,合成と分解が同じ速度で進んでいるため,一見変化が起きていないようにみえる状態.
機械の部品を一つ一つに分けて。
全て片っ端から交換したのと同じイメージ
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「物質の流れ」
方丈記(文学)
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」
ヘラクレイトス(哲学)
万物は流転する
「同じ川の流れの中に再び足を踏み入れることはできない」
川の中の個々の水が流れ去って別の水になってしまうならば、 その水の集合体である川自体も、もはや、 同じ川と言うことはできず、 川を流れる個々の水が、生成変化しているだけでなく、 その水の総体である川自体も、生成変化している
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ルドルフ・シェーンハイマー(生物)
「生命とは代謝の持続的変化であり,この変化こそが生命の真の姿である」
エントロピー増大の法則(物理)
「宇宙は、時間とともに、エントロピーが増大する」
諸行無常(仏教)
「この世の中にある全ての事象は、移り変わり行くものであり、同じ状態のまま留まるものはない」
諸行」は「もろもろの変化するもの。万物」
「無情」は「いっさいのものが変転して、定まらないこと
この世の現実存在(森羅万象)はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができない
形だと思ってるのは流れ
福岡伸一「動的平衡」
動的平衡
ヨハネス・フェルメール
アントニ・ファン・レーウェンフック
福岡伸一著『生物と無生物のあいだ』
ブログ
ヤーコプ・フォン・ユクスキュル
環世界
形態学
解剖学
養老孟司
トビケラの巣
ヨコハマトリエンナーレ2017「島と星座とガラパゴス」
ブログ
0と1の間にあるアート
トビケラ
デジタル化が進む現代文明においては、世界は等価交換が可能な「同じもの」で覆い尽くされてしまいます。この写真は、トビケラと言う昆虫の水生幼虫が作った巣を撮ったものです。まるで現代建築や彫刻のような複雑さを示すはひとつとして同じ形構造のものはありませんが、どれもの自然の摂理に則した唯一無二の造形物となってトビケラは巣はデジタル化によって均質化が進む世界において、アートが果たす無限の可能性を示唆しているようです。
なんだ、これは。 これは「なになにです」。そういうと現代人は安心する。 「なんだ、これは」のままではいられない。 でも世界は本当は「なんだ、これは」なんですね。それは子どもの世界でもあります。 なにしろだれであれ、白紙で生まれてくるんですから。 できれば正体不明のまま、ただ見てください。ひょっとすると、モダンアートの作品じゃないのか。どう見ても、そうですよね。私もそう思います。それでいいじゃないですか。 わけが分からない。それって大切なことなんですね。人生がそうですからね。なんで生まれてきて、なんで死ななきゃならないのだ。思えば、自分の人生って、正体不明じゃないですか。みんなで寄ってたかって、「意味がある」フリをしてませんか。 突然のようですが、神様の目線からすれば、人生は作品、アートかもしれませんね。意味はよくわかんないけど、それなりに興味深い、美しい。そういう人生を生きたい、創造したい。そう思いませんか。
養老孟司
「なんだ、これは」
他者化
そういうと現代人は安心する。
逃走
外部として位置付けることによって自分の安定化を図る
演劇
儀式
世阿弥1363-1443
「風姿花伝」
日本最古の演劇論
能の上達方法や心構え、見せ方といった事柄が、世阿弥独自の解釈によって記されている
「秘すれば花」
「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」
秘めるからこそ花になる。秘めねば花の価値は失せてしまう、という意味
すべてを見せずに、ほんの少しのことを象徴的に表現することによって、観客の想像の翼を活用することによって、表現に膨らみを持たせようとする一種の術である
「見えないことが美しくさせる」(世阿弥)
花=珍しい
日本の美学の古典ともいう。
「花」=「おもしろい」=「珍しさ」
めずらしきが花
観客にとって珍しいことが花である。
ではどうすればいいいのか
「住する所なきをまず花と知るべし」
住すること=同じところにとどまること
同じところにとどまっていては、人を感動することができない。
常に変化を続け、新しさを取り入れた芸であってこそ、人々に感動を与えることができる。
日本文化や伝統というと、先人たちの「型」を受け継ぐことが大事であると考えがちです。 私自身もそうでした。もちろん、「型」を習得することは何より大切です。洗練されたものが型になり、歴史が凝縮されているからです。 しかし、そこで思考が終わり、スタイルを守ることのみになってしまうことは伝統の本質ではないと世阿弥は言います。伝統の元祖である世阿弥は、文化や芸能こそ変化し続けなければならない。変化をためらう芸は死んだと同じということを「風姿花伝」の中で説いています。
常に変化しつづけることが、最も輝く方法だ(世阿弥)
能のなかの音楽ひとつ取っても、誰も楽譜を見ていないので、即興的要素が強いと思われがちですが、実はほぼすべてが計算され、決められています。
離見の見(りけんのけん)
観客の見る役者の演技は、離見(客観的に見られた自分の姿)
すなわち離見を自分自身で見ることが必要であり、自分の見る目が観客の見る目と一致することが重要である。
観客の視点と一致することが重要
観客席から見た自分の姿を意識することにより本当の自分の姿を見極める
目前心後(もくぜんしんご)
「眼は前を見ていても、心は後ろにおいておけ」(世阿弥)
すなわち、自分を客観的に、外から見る努力が必要だ
客観的に見ることが大事
目は前を見ているがこころは後方にあって自分を客観的に見ている
100分de名著 世阿弥 『風姿花伝』 前編
https://www.youtube.com/watch?v=wM1fLQtanYk
ドラマ化して新鮮な作品で魅了した
ドラマチックに見せる技法
伊勢物語や源氏物語など
旅と夢
有名な文学作品で旅をし、そこで夢を見るという内容
現在と過去、あの世とこの世を自由に往来する内容
能の原型
「花鏡」
是非初心不可忘。
時々初心不可忘。
老後初心不可忘。
初心忘るべからず
時々の初心忘るべからず
能の役者でもそこそこの年齢に達すると、舞台に上がっても、馴れてきて平氣になる。そうなると危ういかな。つい初心を忘れ熱意がなく、外見上は上手に舞ったが舞台に花がない。それを戒めた言葉です。
本来の意味
34~5歳
体力と経験が最も高い位置でかみ合う時期です。
この時期に咲かせる花は完璧でなければなりません
しかしその完璧に咲かせた誠の花に慢心してはいけません
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現代の解釈
志の半ば目標が変わることだってあります これは決して悪いことではありません 経験を積み重ねると共に目標も成長します では最も成功した時にどんな志を抱いているのか ここを理解していないと成功に踊らされているだけにも成りかねます 最も脂の乗った時期に本当にやりたいことができているのか とても大切な気持ちの持ちようかと存じます
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老後の初心忘るべからず
能の役者でも60才を過ぎると名人といわれるようになる。即ち、能の長老となって、みんなが遠慮して奉(たてまつ)るようになる。このようになるとどうしてもおごる氣持ちが出る。その結果、舞台に活氣がなく魅力がうせる。これを世阿弥は戒めて「老後の初心忘るべからず」
本来の意味
50歳頃
体力が衰えた状態であっても咲かせられる花はあります ピーク時にはない美しさかもしれませんが 老後独得の美しさを花開かせることができる
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現代の解釈
最後に晩年の志も外せません その時に出来ることは限りがあるかもしれません ただその中でどの様な花を咲かすことができるのでしょう 体力では劣るものの経験の側面では多くの可能性が秘められています 次の世代へと受け渡す際何を伝えたいのか 経験を積み重ねたからこそ抱ける志だってあると思います 志が常にあれば前を向いて生きることができます
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是非の初心忘るべからず
能の舞台に最初に立ったときは、まだ年も小さくて上手に出来るはずはない。うまくいけば是、うまくいかなければ非、うまくいっても、うまくいかなくても、一所懸命な氣持ちを忘れてはならぬことを「是非の初心忘るべからず」と言われたのです。
本来の意味
24~5歳
大きな失敗さえなければその新人に対して大きな期待と評価を称えます。
ハードルは低く、新人としての評価だ。
自惚れせず、自分の未熟さに目を向けなさい
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現代の解釈
当初抱いていた志 経験や失敗を繰り返しながら現実を見据えることで志を曲げざるを得ない場面もあるかもしれません 世間知らずの志が不本意なプライドとなり現状を悪化させることもあるかもしれません しかーし だからと言って 志を捨てる必要はありません そっと脇へ置いておいていつでも取り出せるようにしておけば良いのです 当初抱いた志こそが原点であり動機の基なのです 一つの目標を達成させる際に多くの手段が選択されます ここで残念なのが、 手段が目標となり、本来の目標が蔑ろにされてしまう状況です だからこそ当初抱いた志は忘れてはならないのです
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命は終わりがあり、能には果てあるべからず
即ち能というのは芸術である。従って芸術の世界ではいくら究(きわ)めつくしても、決してこれが最高でこれがおしまいということはない。それ故、初心忘れることなく、終りなき道をしっかり行きなさい
却来(きゃくらい)
老後の初心について
世阿弥は観阿弥(世阿弥の父)の死の直前に舞った姿を見た
「老いた木に残る花」のようだった。
満開に咲くたくさんの花ではないがその一輪の花が美しかった
観阿弥は静岡の浅間神社で亡くなった。
幽玄(ゆうげん)
緩やかな時間の流れ、全てが、かすかで暗い
「美しく柔和な姿」という意味です。 音曲の美しさ、姿が美しく静に舞う姿などが「幽玄」
鬼能
世阿弥の大和猿楽が得意とした荒々しい能
観阿弥はおどろおどろしい、荒々しい大和猿楽を歌や舞で優美なものにした
年を取ったら、大和能楽の原点の鬼能に戻る。老いたからこそ自由にできる境地を演じる。
世阿弥はその鬼能から離れようはられようとしてた。
生涯かけて自分が生まれ育った本来の芸から離れようとしてたそれが幽玄。 歳をとったら戻ろうと、より自由に老いて、なおかつ鬼能をやるのが一番いい。鬼能は激しいし、地獄とかそういうものとも関係がある。おどろおどろしいものを幽玄に(優美)にやる。若い奴が力まかせにやってもできない。動けいない体なんだけどそこで鬼能をやることが意味がある。年取ったが獲得できた自由、年取ったらやってもいい。老いたことの最大の成果。 積極的に歳をとってからできる自由な境地があって、今まで若いとされてきたことをやることそれが却来
芸を究めた者がすうっと下に降りて、それによって目利かず(見る目のない人)をも惹きつけることだそうである。
本来荒々しい動きをする「鬼能」を動くことができなくなる老いた状態になってからやることが意味がある
本来おどろおどろしいもの幽玄にやるのは不自由になってからこそやるから意味がある
型を壊し続けた後元々の方に戻った時その型から本当の意味での新しいものが生まれる(解釈)
岡田利規
コンスタンチン・スタニスラフスキー
リー・ストラスバーグ
ピーター・ブルック
起源
演劇の起源には諸説ある。小林愛雄は、演劇の起源を人類が本能的に持っている模倣への興味であると推察している
呪術や宗教的儀式が発展し演劇となっていたのではないか
また呪術や宗教的儀式には、なんらかの行為・現象の模倣やその再現が重要な要素として含まれていることも多い。
サミュエル・ベケット
思想
哲学
西田幾多郎
主客未分
純粋経験
ウィリアム・ジェームズ
西田幾多郎の「純粋経験論」に示唆を与えるな
アンリ・ベルクソン
ベルグソンの「純粋持続」を批判 知恵袋
「時間と自由」
「純粋持続」
時間とは空間上の物質の移動(時計の針が動く)、量や数量の変化(砂時計の砂が片方に流れる、デジタル時計の時間が変化する)といった物質の移動や変化ではなく「アイスクリームが見える」→「食べたい」→「甘い」→「懐かしい」→「幸せ」というように、意識の中に感情や記憶が絶え間なくあらわれることで持続する、質的変化のこと
時間とは心(意識)の中にあらわれる、感情や記憶の変化が持続すること(ベルクソン)
「物質と記憶」
イマージュ
見た(知覚した)物とそれに対する意識の2つ1組
心(意識)と物質は繋がってる
反デカルト二元論
一元論的考え
「創造的進化」
エラン・ヴィタール(生の躍動)
内在している(より良く生きたい)というエネルギー
力への意思(ニーチェ)と似てる?
エラン・ヴィタールが爆発することで予測不可能な新種を生むこと
進化とは「よりよく生きたい」という内なるエネルギーが現実化すること(ベルクソン)
動物の本能を進化させた。
人間は知性を進化させた。
直感とは人間の知性で本能を意識化したもの
この直感を使えばカントが到達不可能とした物自体を捉えることができる
『善の研究』
純粋経験
美しい夕日を見た時、主観と客観(私と夕日)は分かれていないが思考した時二つは分かれる。
主観と客観が分かれる前の状態の経験
当初は「純粋経験と実在」という題名
主客未分
純粋経験の時、主観と客観が一体となっている状態
何かに没頭している間は私と対象に区別がない、思考したときその関係に気づく(西田)
ベルクソンのイマージュに近い
西洋近代哲学との違い
西洋:主観が客観を経験する
西田:思考によって主観と客観が分かれる
西洋: 私 →【見る】→ 対象 =経験
西田:(私+対象) →【思考】→ 私 / 対象 =経験
西洋:私が夕日を見る
西田:夕日を見たときに夕日を見ている関係に気づく
アンリ・ベルクソン
笑い
國分 功一郎
中動態の世界
中動態
ジル・ドゥルーズ
『アンチ・オイディプス』(1972年)
ドゥルーズ=ガタリ
器官なき身体
ドゥルーズとガタリがアントナン・アルトーの言葉をもとに自らの哲学的概念として展開した概念である。
全体に対して部分の持つ自由さが顕揚される
一般に,部分を一定の役割に閉じ込めてしまうような統一体が存在するという前提を捨てて,それぞれの部分に多様な組み合わせの可能性を開き,常に流動的で,新たな接合を求めていこうとする考えを表している。
原国家
n個の性
脱領土化
「スタイル=様式」
「移行(パサージュ)」
「アレンジメント」
移行を可能にする装備一式(地勢・状況)
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そのスタイルは、特定の活動する身体といった「領土」の表現であるとともに、その抽象性によって、そこから別の領土の可能性を指し示しもする。こと
ある領域(領土)の活動状況が変化するとしても、それでもなおそこに持続性を保つ一定の抽象的形式が成立する。それ
世界は日々動いて変化していく。その生成変化するあり方を、その変動のさなかに捉えるもの
スタイルはそれ自体として変化し(ここが「法則」とは違うところです)、つねに新しい領域のあり方を指し示す。
スタイルはそれ自体が変化し常に新しい領域へのあり方を示す。
スタイルによる領土化は、すでにそれ自体として別の領土への移行、つまり脱領土化であり、領土それ自体がそうした移行のアレンジメント
スタイルによる領土化
それ自体として別の領土への移行すること
領土それ自体がそうした移行のアレンジメント
差異
ジル・ドゥルーズ『ノマドの思考』から思うこと
『ニーチェは、今日?』
1972年にフランスで行われた
ジャック・デリダ、ジル・ドゥルーズ、ジャン・フランソワ・リオタール、ピエール・クロソウスキーという4人の巨匠による「で、ニーチェってなによ?」という討論会を収録した本
ニーチェ
ニーチェにとって社会とは、法、契約、制度という3つのコード(共通の暗号。決まりごと)
人間を縛る官僚的構造
3つのコード
契約
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制度
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法
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ドゥルーズの基本的な考え方について振り返ってみましょう。 理論や概念は、動いている世界を静止したあり方のうちで把握しようとします。ボールを高い場所から地面に落とすと運動が生じます。古典力学は、そうした運動現象を写真撮影して、時間あたりの運動距離を割り出し、そこから運動法則を抽出します。そうすることで、運動する世界のレイヤーの背後に、その<法則=真理>として静止したあり方を描き出すわけです。そこでは運動は非真理であり、その背後にある不動のものが真理である。 しかしドゥルーズは、そうした静止したあり方が真理だという考え方を避けようとします。世界は日々動いて変化していく。その生成変化するあり方を、その変動のさなかに捉えるものとして、彼は「スタイル=様式」という概念を提示したのです。ある領域(領土)の活動状況が変化するとしても、それでもなおそこに持続性を保つ一定の抽象的形式が成立する。それがスタイル(様式)であり、しかもなおスタイルはそれ自体として変化し(ここが「法則」とは違うところです)、つねに新しい領域のあり方を指し示す。そのスタイルは、特定の活動する身体といった「領土」の表現であるとともに、その抽象性によって、そこから別の領土の可能性を指し示しもする。これを「移行(パサージュ)」という。そしてこの移行を可能にする装備一式(地勢・状況)のことを「アレンジメント」という。したがってスタイルによる領土化は、すでにそれ自体として別の領土への移行、つまり脱領土化であり、領土それ自体がそうした移行のアレンジメントなのだ.
古典力学
運動は非真理であり、その背後にある不動のもの(運動法則)が真理である。
ドゥルーズの考え
ドゥルーズは、静止したあり方(運動法則など)が真理だという考え方を避けようとし、世界は日々動いて変化していくと考える。
フェリックス・ガタリ
ヴァルター・ベンヤミン
「複製技術時代の芸術」
『パサージュ論』
ジョルジュ・バタイユ
思弁的実在論
新しい哲学と「オブジェクトa」
アドホック
アドホックな仮説
ある理論が反証されたときに、その反証を否定するためにその理論に後から付け加えられる補助仮説のこと
反証
ある仮説、命題、主張などが間違っていると証明すること。
ad hoc
その場しのぎの、即興の
その場その場の
その場限りの
臨時の
ルネ・デカルト
「我思う、ゆえに我あり」
心と物質は分かれてる
デカルト二元論
空間的広がりを持つ思考できない延長実体(いわゆる物質、ラ:res extensa)と、思考することができる空間的広がりを持たない思惟実体(いわゆる心、ラ:res cogitance)の二つの実体があるとし、これらが互いに独立して存在しうるものとした。
実体二元論の代表的な考え
形而上学
認識論
認識の起源
経験論vs合理論
合理論
知識は理性的に得ることができる
人間は生得的に理性を与えられ、基本的な観念・概念の一部をもつ、もしくはそれを獲得する能力をもつと考える
( デカルト / スピノザ / ライプニッツ)
経験論
イギリス経験論
( F =ベーコン / ロック / バークリー/ヒューム)
知識は経験に由来
人間は経験を通じて様々な観念・概念を獲得すると考える
カントによってアウフヘーベン
認識の対象
観念論vs実在論,唯物論,現実主義
観念論
あなたが考えていることが世界そのもの
実在論
人間の認識や知覚に依存しない事物の客観的実在を認める立場。
神の存在が疑わしくなって、その結果、認識論
存在論
存在者(さまざまに存在するもの)を存在させる存在なるものは何なのか
イマヌエル・カント
「純粋理性批判」
我々が見ている物(世界)は私たちの感覚器の構造がとらえた情報をたよりに、意識によって物(世界)を作り上げているだけ
[物自体には到達できない]とは、
私たちには対象がリンゴに見えても、宇宙人にはどう見えるかわからない。
物はヒトの知覚で意識化されただけで物自体ではない(カント)
コペルニクス的転回
物事の見方が180度変わってしまう事を比喩した言葉。
カントがそう言った
ニコラウス・コペルニクスは、それまでの常識であった地球中心説に対して、太陽中心説を唱えた天文学者である。
認識論において、人間の認識は、外部にある対象を受け入れるものだというのが、従来の哲学の常識であった。それに対して、カントは、人間は物自体を認識することはできず、人間の認識形式が現象を構成するのだと説いた。こうして、人間の認識形式自体を問う近代的な認識論が成立した。
パラダイムシフトと同じような意味
パラダイムシフト
その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することをいう。
ア・プリオリ
経験的認識に先立つ先天的、自明的な認識や概念。 カントおよび新カント学派の用法。 ラテン語の a priori に由来する。 日本語では、「先験的」「先天的」「超越的」などと訳される。
人間には共通の経験の仕方と理解の仕方が先天的にプログラミングされているから。
知識は経験から得られる。
ではなぜ全く同じ経験をしていないのに話が通じるのか
人間には経験の仕方と理解の仕方があらかじめプログラミングされている(カント)
感性の形式(経験の仕方)
人間は物事を必ず「空間的」、「時間的」に捉える
悟性の形式(理解の仕方)
ex)原因と結果
犬にタライが落ちても、吠えるだけ(原因を探ろうとしない)
人にタライが落ちたら、見上げて確認する(原因を探ろうとする)
フリードリヒ・ニーチェ
「永遠回帰」
仏教の円環的な時間概念を意図的に採用
輪廻転生
生き物は何度も生まれ変わるということ
仏教:時間の概念=円環的、ループ
世界は目的も意味ももたない、ただ存在するだけ、それも循環する運動体として存在するだけなのである。
永遠の現在に回帰するのだ
キリスト教的な直線的時間概念を批判
キリスト教的な世界観は、人間世界の外部に終極の目的を設定し、人間世界はそれに向かって直線的に進んでいく
キリスト教:時間の概念=直線的
弁証法を否定
永劫回帰の思想は、ポスト・モダンの近代批判
時代背景
技術革新や社会が組織化を進み、商品の大量生産が可能になった。発達した交通網が世界各地と結びつけ、マスメディアが迅速な情報伝達をもたらした。
この文明の利便性は、
そこで生きる人間の主体的判断力を弱め、人間を平均化し受け身の態度を取らせ流傾向がある
人々が一般大衆化した。
受動的になり、個性がなくなった
こうなったのはキリスト教のせい
本来的自己、オンリーワンを取り戻そう
キリスト教道徳は、
弱者の怨恨が潜んでおり、強者が繁栄している現世を否定し、救いをあの世に求めて、ひたすら神に服従することを説く奴隷道徳に過ぎない。
その奴隷道徳が現実を強く生きようとする人間の、高貴でたくましい精神を無力化させたのである。
キリスト教は、
現代の機械文明のもと形骸化し、
人生に異議を与えて来た信仰の力は衰えた。
ニーチェは反キリスト者として、あえて神の死に手を貸すことを呼びかけ。「神は死んだ」と宣言した。
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WW1後社会不安とニヒリズム(目標がない虚無主義)から
本来的自己
の回復を呼びかける
ニヒリズム
既存の価値体系や権威をすべて否定する思想や態度。
最高の価値が無価値になる
「何のために」への答えが欠けている
このような状況はキリスト教の禁欲道徳によってもたらせた痛烈に批判
実存主義
明治の人
無神論的実像思想
ハイデガーなどに影響
ハイデガーやヤスパースによって実像思想を確立していく
有神論的実存思想
ヤスパースに影響
荘子(BC369-BC286)
道教の始祖の一人
道教
中国三大宗教
道教
荘子
老子
儒教
孔子
仏教
ゴータマ・シッダールタ
対孔子
胡蝶の夢
『荘子』内篇「斉物論第二」
昔者荘周
夢に胡蝶と為る
。
栩栩然
(くくぜん)として胡蝶なり。
自ら喩しみて志に適えるかな。
周たるを知らざるなり。
俄然として覚むれば、則ち蘧々然(きょきょぜん)として周なり。
知らず、周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを
。
周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。
此を之れ
物化
と謂う。
訳
昔、私、荘周が夢を見たとき、
私は、夢の中で胡蝶となっていた。
私は、生き生きとした蝶であった。
自分でも楽しくて、心ゆくばかりにひらひらと舞っていて、 自分が荘周であることは、すっかり忘れていた。
しかし、急に
目が覚めてみると
、
我に返って、自分は荘周であったと気づく
のである。
荘周が夢の中で胡蝶となっていたのか
、それとも、
胡蝶の方が夢の中で今の荘周になっているのか
、私には分からない。
常識では
、荘周と胡蝶との区別ははっきりしているはずなのだが、 よくよく考えてみると、そうではないのである。
これが
万物の変化
というものである。
常識では、現実の世界と夢の世界とは、 当たり前のように区別されているが、
夢を見ていた時の気分を思い出して、 よくよく考えてみると、
夢の世界の方が本当は現実だったのかもしれず、 今、現実だと思っている世界の方が実は夢の中なのかもしれない、
そもそも、
現実と夢という 区別自体が定かではなく、
自分はある時は、胡蝶となり、 別のある時は、人間となっているに過ぎないのである、
そして、このように、
すべての存在は常に変化し移ろっていく
ので、
永遠不変のものなど、どこにも存在しない、
ということです。
このように、
夢の中の認識を思い起こすことを通じて、
普段は当たり前のように思っている
経験的知識を懐疑して覆していく
、
という発想は、
「デカルトの夢の中の幻の身体の認識」で考えられていた議論にも
通じる
そして、荘子は、こうした
「胡蝶の夢」
の議論などを通じて、
善悪、真偽、美醜といった、人間が有する
すべての価値観は、相対的
なものであり、
すべての存在は混然一体
となっていて、
価値において優劣はなく、
みな等しく同価値
であるという、
「万物斉同(ばんぶつせいどう、一切斉同)」
という真理を見いだす。
万物斉同
善悪、美醜、優劣、真偽などの区別は(差異)は人間特有の感覚や思考の産物
人間が作った差異を取り除くと価値の優劣はなくなる。
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本来、私以外のものを区切る壁はない。
ある日、荘子は自分が蝶になって楽しく飛びまわる夢を見た(
夢中で飛びまわっているとき自分と蝶の区別はない)
私が蝶になったのか?
蝶が私になっている夢を見ているのか?
どちらも大した違いはないと(荘子)
西田的、対デカルト的な一元論
胡蝶の夢(荘子) ≒ 純粋経験(西田)
万物斉同(荘子 ) ≒ 主客未分(西田)
浅田彰
ニュー・アカデミズム
「ニュー・アカデミズム」とは浅田彰の活躍に代表される事象をマスコミが社会現象として捉えて名付けた造語であり、厳密な定義のない用語であるが、特定の学問の領域を超えた研究・思想という学際的な特徴がある[1]。
レヴィ=ストロース、ラカン、アルチュセール、ソシュール、バルト等構造主義や記号論を受け継いだ潮流と、後にポスト構造主義ないしポスト・モダニズムと総称されるようになるフーコー、ドゥルーズ、デリダ、クリステヴァ、リオタール、ボードリヤールを受け継いだ潮流がある。
ニュー・アカデミズムとは、1980年代の初頭に日本で起こった、人文科学、社会科学の領域における流行、潮流のこと。ニューアカと略される場合もある。
東浩紀
國分 功一郎
ジョルジュ・バタイユ
artpedia
『眼球譚』1928年
ある男性が過去を回想するという形で、語り手と
三月の5日間
首なし男がシンボルの秘密結社「アセファル」を創設
岡本太郎
カール・ハインリヒ・マルクス
イデオロギー
[イデオロギー]
絶対的なものとして信じられ、人を縛ってしまう思想
イデオロギー批判というのは、 特定の宗教とか学問とか制度とかを、 その教義や建て前の内面的構造から俎上にあげるのではなくて、 いわば「外から」--つまりそれらがどういう社会的=政治的役割を 果しているかとか、どういう階級的あるいは党派的利害関係を隠蔽したり、 美化しているか、という観点に重きを置く批判様式です。
もともとは「観念についての学問」(science of ideas) という意味で使われたが、マルクス以降は、 「特定の集団が当集団の利益や安全を守るために創りだした信念」 というような意味で用いられるのが普通である。 もっと簡単に言えば、「ある集団に都合のよい説明」というような意味。 信念の真偽よりも、 信念が果たす社会的役割に重点が置かれていることがポイント。
たとえば、 王が国を統治する権利は神に由来するという王権神授説や、 プラトンの「人間が土から創られたとき、 支配階級には金、防衛階級には銀、労働階級には鉄が混ぜられた」 というような説明は、 支配階級の既得権益を正当化し、 被支配階級の不満をなだめるためのイデオロギーとみなすことができる。
イデオロギー Ideology
「理念」や「観念」を意味するideaに由来する言葉であり、ある個人や社会集団によって共有される思想、信条、世界観などを意味する。正確に対応しうる日本語訳が存在しないため、現在にいたるまで「イデオロギー」とカタカナ表記されるのが通例となっている。今日における「イデオロギー」という言葉は、もともとマルクス+エンゲルスの『ドイツ・イデオロギー』(1845-46)にまでさかのぼる。同書のなかで、マルクスとエンゲルスは「観念における闘争」と「現実における闘争」の転倒を批判して、これを「イデオロギー」と呼んだ。さらにその後マルクスは、観念の形態一般を指して「イデオロギー」という言葉を用いるようになるが、今日の「イデオロギー」の起源はむしろこの後者の方にある。19世紀から20世紀にかけてのマルクス主義の隆盛にともない、「イデオロギー」という言葉も(政治ばかりでなく)あらゆる分野で広く用いられるようになった。なかでも特筆すべきは、フランスの哲学者ルイ・アルチュセールによるイデオロギー論である。アルチュセールは、人間の主体化はそもそも何らかのイデオロギーによって可能になっているのであり、われわれはこうしたイデオロギーから完全に逃れ去ることはできないと考えた。このアルチュセールの議論は、それまで主にマルクス主義の枠内で論じられていた「イデオロギー」概念を大きく拡張し、文学理論や芸術理論をはじめとする他分野にも多大な影響を及ぼした。 著者: 星野太
宗教
仏教
般若心経
色即是空
量子力学
般若心経「色即是空、空即是色」≒量子力学「粒子と波動の二重性」
空の思想
色即是空 空即是色
私たちが感じとるあらゆる物体は、固定的な実体がなく「空」という性質をもっている。 存在を支配する根本の原理は、この「空」という真実なのだ。 そして
存在は「空」であり、変化をする性質であるからこそ、あらゆるものは形をもつことができ、また形を変えることができるのである。
三法印
諸行無常
この世に生起するあらゆる現象は、常に変化し、流転してやむことなく、刹那の単位で移り変わっていくということ。(行とは因と縁によってつくられたもの、現象している一切のもの)
この世のすべての現象は変化する
諸法無我
いかなる存在も、永遠不変の実体などはないのだという意味。(諸法とはここでは存在、我とは恒常で変化しない実体の意)
たとえは、「わたし」と思い込んでいるこのわたしも、「わたし」としてとらえられるような実体は存在しない。この「わたし」を含め、世の中のすべてのものは、ただ一つで存在するものはなく、縁に依って仮に和合した姿であり(縁起)、実体を伴ってあるように見えるが、実際には一刹那ごとに生まれたり滅したりを繰り返していて(刹那無常)、我がとか我がものというけれど、そんなものは何一つないと教えるのが「諸法無我」。
世の中のすべてのものごとは、関連し合っていて、他と関係なしに、ポツンと離れて存在するものはない
涅槃寂静
涅槃とは煩悩の炎が吹き消された状態、安らぎ、悟りの境地をいう。「諸行無常」、「諸法無我」の教えによって、人間の心から 貪りと怒りと愚痴がとり除かれた時、そこに初めて涅槃寂静の状態が生まれるとし、仏教は涅槃寂静に到達することを目標とする。
迷いをすっかり吹き消した、心身の安らぎの状態
キリスト教
生と死
神
心理学
精神分析学
ジークムント・フロイト
『エディプス・コンプレックスの崩壊』1924年
エディプス・コンプレックス
ギリシア神話
『オイディプス王』B.C.427
ソポクレス
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知らずに自分の父を殺して自分の母と結婚するという物語
父親を殺し母親と結婚したギリシア神話のエディプス (オイディプス) 王にちなんで名づけられた。
エディプス・コンプレックスのメカニズム
ママと密着しようとすると「去勢される」不安にさいなまれ、パパの言いなりになると「すでに去勢されている」ように感じるというジレンマ
母親への独占的な愛は父親によって禁止され、これをきっかけにして、子どもは父親の命令を取り入れるようになり、父親の命令(ルール)は超自我として内面化されるのだ。
ジャック・ラカン
「研究されるべきと思われるのは、たんに母親が父親の人物に満足している仕方ではなく、母親が彼の言うこと、いや語そのものといおう、彼の権威、言いかえるなら彼女が掟の進級の過程で〈父親-の-名〉のために取っておいた場所を重んじている、そのことなのである」(ラカン「精神病のあらゆる可能な治療に対する前提的問題について」『エクリ〓』)。
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「大文字の他者」
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第三者の視点を獲得するための契機=父- 母- 子という三者関係の葛藤
ジャック・ラカン
現象
月の満ち欠け
水の回り方
影同士がくっつく
光の波動性=波の様な性質
数学
カオス理論
バタフライ効果
コーヒーとミルク
素数
映画
SF
月世界旅行
2001年宇宙の旅
ブレードランナー
マトリックス
惑星ソラリス
マッドマックス
インターステラー
5次元
メッセージ
言語と思考
インセプション
虐殺器官
動物行動学・言語・思考
イノセンス 2004年
町山智弘
イノセンス(予習編)
wowo映画塾
ルネ・デカルト
我思う、ゆえに我あり
マトリックス1999年
『方法序説』の中で提唱した有名な命題
実体二元論
心身問題に関する形而上学的な立場のひとつで、心的なものと物質的なものはそれぞれ独立した実体であるとし、またその心的な現象を担う主体として「魂」のようなものの存在を前提とする説である。 代表的な論者はルネ・デカルトである。
心あるけど体ない
反デカルト
ギルバート・ライル
機械の中の幽霊(Ghost in the machine)」、「機械の中の幽霊のドグマ」
心身二元論を批判
ウィトゲンシュタインの言語観に想を得たイギリスのいわゆる日常言語学派の代表的人物
イギリスの哲学者
著書「心の概念」1949
アーサー・ケストラー
ハンガリいー生まれのユダヤ人思想家
のちににイギリスに帰化
著書「機械の中の幽霊」1967
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前作
『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』1995年
ネット上にできた人間ではない人格
魂はないのにコンピュターネットワークの中に出来上がってしまった
命がないものが命を持ってしまった
素子がAIと合体してネットの海に消えちゃう
AIと人間の違いがわからない
全地球的普遍的存在になる
機械の中に心ができてしまった
犯人だと思っていた人形使いは人間ではない
コンピューターネットワークにできた人格
人間は体は機械に変えられる
心も二進数でコンンピュータに置き換える
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心もコンピュータに置き換えるとAIとの区別がつかなくなる
タイトルについて
ジブリの鈴木敏夫がつけた
タイトルは日本だと受け悪いからイノセンス
米版は受けが良かったからGHOST IN THE SHELL2
監督人形好き
ハンス・ベルメール1902−1975
ドイル出身
シュールレアリズムの芸術家
ナチズムに反対
等身大の球体関節人形を制作発表
『ザ・ドール』
四谷シモン
ベルメールの影響を受けた
日本における球体関節人形の第一人者
1960年代後半「状況劇場」に参加した俳優としても長く活動
クリス・カニンガム
アイスランドが世界に誇る歌姫ビヨークの「All is Full of Love」(1997年)のミュージックビデオ
イギリスの映像作家としてビョーク、マドンナなどのPVを手がける。独自のダークな描写で数々のミュージックアワードを獲得
赤い着物
娼婦
顎カクカク
文楽
ブレードランナー1982年
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?1968年
未来のイブ1886年
SF小説
ヴィリエ・ド・リラダン
人造人間を「アンドロイド」と呼んだ最初の作品と言われる
伊藤計劃
『屍者の帝国』にはハダリーが登場する
フランスの作家
ハダリー
理想
イノセンス(復習編)
wowow映画塾
レイモンド・チャンドラー
探偵フィリップマーロウが登場する「さらば愛しき女よ」1940年「長いお別れ」1953年などが有名
「さらば愛しき女よ」
「長いお別れ」
ハードボイルド小説の大家
『her/世界でひとつの彼女』2013年
AIってわかってるのにスマホとダンスする
素子「ネットに繋げば私がいるわ」
やばいセリフ
ネットに繋ぐのは寂しいから
母性的な部分を見抜いた
士郎正宗すごいよね、早い
キム
人形に心を移し替えてしまっている人
人形が一番素晴らしいと思ってる
人間は不完全な意識しか持っていない
美しいもの
全く意識の持っていない人形
完璧な意識を持っている神
主体
犬って人工物だよね
掛け合わせでできてる
えいえいんに子供として可愛がるように作られている
犬を寂しくさせると頭おかしくなっちゃう
ロボットと同じだ
子供も同じだ
子供も犬も人形も同じだ
ハダリ(セックスアンロイド)のあばらが勢いよく開くシーン
文楽のガブ
自意識のないものは美しい
人形=犬=子ども
前作と本作の違い
オープニング
前作
草薙素子の義体が作られるシーン
本作
ハダリの人形が作られるシーン
前作は人間の心がAIによってハッキングされる話
人が人形になる
意識がAIになる
本作は人形の心に人間の心が植え付けられる話
人形が人になる
AIから意識生まれる
前作のアンチテーゼ
前作でできなかったことを本作でやる
前作に対しての批評
宮崎監督もよくやる
独身について
バトー
「独身者の機械」1954年
フランスの文芸評論家カルージュの著作ここで言う独身者とは生身の異性より人形や機械などに幻想的な愛を求める精神の持ち主のこと
独身者の機械の生成プロセス
カルージュがカフカの『変身』のザムザ=昆虫のイメージと、デュシャンの《大ガラス》の最上部に吊り下げられている昆虫の抜け殻に、何か相関項が存在するのではないかという作家的な「直観」から錬成された装置である。
大ガラス(1915-23)との関係
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大ガラス-彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも
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ミッシェル・カルージュ
マルセル・デュシャン
フランスからアメリカにわたって活動し20世紀の美術に最も影響与えた芸術家の一人。現代美術の先駆けとみなされる作品を手がけた。
「モレルの発明」1940
アドルフォ・ビオイ=カサーレス
アルゼンチンの作家アドルフォ・ビオイ=カサーレスが書いた孤島を舞台にしたSF調の長編小説ボルヘスに「完璧な小説」と賞賛された。
機械仕掛けの映画みたいなものに出てくる女性に惚れてしまった話
二次元コンプレックス
オーギュスト・ヴィリエ・ド・リラダン
フランスの小説家・詩人 長篇小説「未来のイヴ」1886年短篇小説集「残酷物語」1883年 戯曲「アクセル」1890年などを執筆
「未来のイヴ」1886年
人造人間を「アンドロイド」と呼んだ最初の作品と言われる
SF小説
科学でロボットでもなんでも作れる時代になっていくという時代
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「イノセンス」冒頭
我々の神々も我々の希望も、
もはやただの科学的なものでしかないとすれば
われわれの愛もまた科学的なものであって
いけないいわれがありましょうか
ーリラダン「未来のイヴ」
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「われわれの神々もわれわれの希望も、 もはやただ科学的なものでしかないとすれば、
われわれの愛もまた 科学的であっていけないいわれがありましょうか」
ーリラダン「未来のイヴ」1886年
「残酷物語」1883年
「アクセル」1890年
生活なんてくだらないものは召使いに任せておけばいい。
三島由紀夫
セックスと家族は結び付けられていたけれど
19世紀ぐらいから、機械文明が出てきたのと独身であるってことがセックスと家族を作ることを分離することを独身者の機械と呼んでいる
セックスと家族を作ることの分離
独身として生きていく生き方が出てきた
19世紀の機械文明出てきたり
ループ
家族を持たないと未来がないから
エディプスの恋人1977年
テレパスのヒロイン七瀬を主人公とした筒井康隆のSF小説「家族八景」、「七瀬ふたたび」に続く「七瀬三部作」の最終作
主人公 の七瀬はある男と恋をさせられる。
七瀬
「なんかわからないけど好きになっちゃう。」
神
「私が自分の息子の嫁にしたんです。」
この世界の神は交代制
エディプスの恋人っていうのはヒロイン七瀬
男はエディプスコンプレックス(母は神)
「エディプ・スコンプレックス」
フロイトが提示した概念母親を手に入れようと思ったり父親に対して強い対抗心を抱くといった幼児期における心理的抑圧のこと
恋愛だと思っていたのは神が息子の嫁に選んだことだった
元ネタ
フレデリックブラウン
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自我、自意識があるといろいろ考えちゃうからそれをなくすことが綺麗だ
生死去来/棚頭傀儡/一線断時/落落磊磊
傀儡=人形
人間死ぬと、操り人形の糸が切れたのと同じで、ただべろっと落っこっちゃう。
人間も人形も同じなんだ。という意味
一端死が訪れると、棚車の上の操り人形が糸が切れて崩れ落ちるように、全てが無に帰ってしまう
世阿弥の能落書「花鏡」
生死の去来するは、棚頭の傀儡たり、一線断ゆる時、落落磊磊
是は、生死に輪廻する人間の有様をたとへ也
世阿弥
ハダリを作っている会社
ロクスソルス
レーモン・ルーセル
フランスの小説家・詩人「アフリカの象徴」1996年「ロクスソル」1914年
「ロクスソル」1914年
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死=生
インターネット上にいる=いつでもアクセスできる=どこにでもいる
コメディ
ミラクル・ワールド ブッシュマン
CM
ノスタルジー
ALWAYS 三丁目の夕日
植民地主義
ドキュメンタリー
ジョン・グリアソン
1920年代に、記録映画作家であるジョン・グリアソンによって、ドキュメンタリー=事実の記録という呼称になったと言われている
ロバート・フラハティ
ジョン・グリアソンによって、ドキュメンタリー=事実の記録という呼称になったと言われていると言った人
“ドキュメンタリー”という言葉は、1926年の本作公開時に、新聞の映画評で使われたことが起源とされている。
フレデリック・ワイズマン
特徴
「四無い主義」
「四無い主義」=大抵存在する四つの要素、すなわち「ナレーション」「テロップ」「インタビュー」「音楽」が、彼の作品には無い
「身体=オーガニゼーション」として二重に主題化
オーガニゼーション
組織
社会科学における組織は、共通の目標を有し、目標達成のために協働を行う、何らかの手段で統制された複数の人々の行為やコミュニケーションによって構成されるシステムのことである。
彼は「現実の九五パーセントは、クリシェを裏切る」と言う。
クリシェ
クリシェとは、乱用の結果、意図された力・目新しさが失われた句・表現・概念を指し、さらにはシチュエーション、筋書きの技法、テーマ、性格描写、修辞技法といった、ありふれたものになってしまった対象にも適用される。否定的な文脈で使われることが多い。
その他
デレク・ジャーマン
青春
「桐島、部活やめるってよ」2010年
町山智浩の映画塾!「桐島、部活やめるってよ」<復習編> 【WOWOW】#94
「嘔吐」1938年
高校生活に意味が見出せなくなった宏樹くん
もっともパニックに陥ったのは菊池宏樹(東出昌大)
宏樹くんは恋愛もセックスも勉強もスポーツもできる人だけど、やってみたけどそうでもないし、何の意味があるかわからない。
人生に意味を見出せなくなってる
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ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル
)
パートナー
シモーヌ・ド・ボーヴォワール
サルトルの生涯のパートナー(今で言う事実婚)であり、哲学者でもあったシモーヌ・ド・ボーヴォワールは、実存というあり方を端的に捉えた以下のような言葉を残しています。
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実存主義
実存は本質に先立つ
ペーパーナイフ
「紙を切る」というのがペーパーナイフの本質(=目的=役割)だとサルトルは言います。
ペーパーナイフは作られる(=存在する)前に本質がある
人間
本質(=生きる目的)がある前に実存(=存在)があるのだ
「人間の本質ってなんなのよ」
自分自身で本質(=生きる目的)を掴み取らなければならない
本質(=生きる目的)がないということは、何をすればよいかわからない状態です。そのような状態で人間は不安、恐れ、いらだちを感じます。
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ローエングリン
「ゴドーを待ちながら」1952年
サミュエル・ベケット
ゴドーという男を2人が待ち続けるけど来ない
ゴドー=GOD=神
一般的な解釈
人間は来るはずのない神を待ち続けている
それ自体が絶対に来ない神さまを待ってるってことが生きてるって状況なんだ
桐島=ゴドー
来るわけもない絶対最後まで現れない
神みたいな世界の中心、世界に意味を与えている存在
Q人間がなぜ神とかそういうことを考えるようになったのか?
それは、人間はどうせ、死んでしまうから何も残らないし、そのあとのものもないと思ったら人間は何のために生きているかわからなくなってしまうだから神などを想像した。
ニヒリズム
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解説
超難解フランス文学 「ゴドーを待ちながら」徹底解説!
不条理演劇
不条理
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https://www.youtube.com/watch?v=yx9Y_4l82cM
時代背景
書かれた1952年はWW2の後である。
フランスはドイツの占領下だった。
来る日も来る日も神は来てくれない。
日本には原爆も落ちてるし、世界ではあらゆる人が苦しんでいる。
なぜ神は止めなかったんだ。
その結果不条理やカミュの考えがたくさん流通
戦後人々が苦しんでるけど神は来ないし助けてくれない
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「ナッシュビル」1975年
・大統領候補が最後まで出てこない
・応援演説会にカントリー歌手とかマネージャー集まるけど
大統領は結局出てこない。
主人公がでてこない。
大統領=アメリカの理想
街宣車からの演説はアメリカの歴史とか理想について非常に社会学的に評論した内容になっている。
登場するマネージャーやカントリー歌手はアメリカのことは政治的には何も考えていない。
実はこの話の根底にあるのはアメリカの歴史と政治と人々なんだということを大統領候補をいないということで逆に表現する。
桐島は天皇みたいな感じ
天皇陛下は日本の象徴であって中心。
だけど彼自身は何もしちゃいけない(憲法上)
桐島も同様に何もしないのに中心にいる
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ある日天皇が存在しなくなって日本人がパニックに陥るということに近い。中心となっていた人物がいなくなることでパニックになること近い
桐島=天皇
主人公を登場させないことによって周りの声を描く
共和党でも民主党でもない第3党から出てきた大統領候補が街宣車で演説し続けて、お応援演説会が行われる、カントリー歌手とかメネージャーとか最後に集合するという話。出て来ない大統領候補を中心に話が回っていく
「ショーシャンクの空に」1994年
我々は刑務所にいるようなもの。
自分になる方法、自己実現の方法を考える
高校生活で起こる状況はサラリーマンなど社会で起きることの投射「ショーシャンクの空に」も同様に社会で起きていることを刑務所で起きることに投射
ミステリー
羅生門(1950)
黒澤明
二つの原作をミックス
芥川龍之介(1892-1927)
『羅生門』1915年
芥川龍之介『羅生門』読書会のもよう
朗読
https://youtu.be/C-EhRHGWjRk
解説
https://youtu.be/KuPWEiRc93g
読書会の模様
https://youtu.be/YppujMMT83A
『藪の中』1992年
「藪の中」の語源
複数の視点から同一の事象を描く内的多元焦点化(ジュネット)の手法がとられ[注 1]、殺人と強姦という事件をめぐって4人の目撃者と3人の当事者が告白する証言の束として書かれており、それぞれが矛盾し錯綜しているために真相をとらえることが著しく困難になるよう構造化されている。その未完結性の鮮烈な印象から、証言の食い違いなどから真相が不分明になることを称して「藪の中」という言葉まで生まれた。
内的多元焦点化
[内的多元焦点化]
=複数の視点から同一の事象を描く内的多元焦点化(ジュネット)の手法がとられている。
手法
リドル・ストーリー
謎が謎のまま終わる
リドル・ストーリー (riddle story) とは、物語の形式の1つ。物語中に示された謎に明確な答えを与えないまま終了することを主題としたストーリーである。リドル (riddle) とは「なぞかけ」を意味する。
信頼できない語り手
信頼できない語り手(Unreliable narrator)は、小説や映画などで物語を進める手法の一つ(叙述トリックの一種)で、語り手(ナレーター、語り部)の信頼性を著しく低いものにすることにより、読者や観客を惑わせたりミスリードしたりするものである。
読者をミスリードする
内的多元焦点化(ジュネット)
複数の視点から同一の事象を描く
それぞれが矛盾し錯綜しているために真相をとらえることが著しく困難になるよう構造化されている。その未完結性の鮮烈な印象から、証言の食い違いなどから真相が不分明になる
物語論
パースペクティブ・焦点化
3つの焦点化
解説
外的焦点化=主人公の外面のみを描く
出来事や人物の表面しか語らない(外在視点・外的焦点化)。語り手は、作中人物が知っているよりもわずかしか語らない。その結果、主人公にたいしてもミステリー(なぞ)が生じる。例:ヒッチコック『サイコ』観客が視点を共有する女主人公を殺すことで、だれとも同一化・共有できない視点から見ることを観客に強い、その結果、主人公の青年がなぞをもつ存在となる。
内的焦点化=ある登場人物の視点
一人の登場人物の視点から物語られる(共有視点・内的焦点化)。語り手は、作中人物が知っている以上のことをかたらない。観客は登場人と同じことしか知らず、その結果、他の人物や出来事にたいするミステリー(なぞ)が生じる。例:漱石『三四郎』「ストレイ・シープ」
焦点化ゼロ=全知の視点
全知の語り(俯瞰視点・ゼロ焦点化):語り手は作中人物の誰かが知っている、ないしちかくするよりも多くを知っている、ないし物語る)。神(全知全能)の視点から語る。全知の語りでは、登場人物の視野に限定されず、観客は登場人物の誰よりも多くのことを知っており、その結果、サスペンス(はらはらどきどき)が生じる。
種類
内的焦点化
「多元焦点化」
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「固定焦点化」
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「不定焦点化」
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焦点化ゼロ
外的焦点化
例えば
登場人物Aの知覚によって別の登場人物Bの外面を描く場合、
Aにとっては内的焦点化であり、
Bにとっては外的焦点化となる。
マリオとヨッシーというキャラクターが登場するTVゲームをしている場合
内的焦点化=マリオ「ヨッシーがスターを食べている」
外的焦点化=ヨッシー「ヨッシーがスターを食べている」
焦点化ゼロ=プレイヤー「ヨッシーがスターを食べるのをマリオが見ている」
人称
二つの世界
等質物語世界的
語り手が登場人物を「私」と一人称代名詞で指示することが可能である。言い換えれば登場人物が語り手となっている。従来の「一人称小説」。
自己物語世界的
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「非焦点化」が多い
異質物語世界的
語り手はいかなる登場人物も「私」と指示することがない。言い換えれば語り手は登場人物として登場しない。従来の「三人称小説」。
「内的焦点化」および「外的焦点化」が多い
その他
しかし一人称代名詞で「等質物語世界的」に語る場合、物語世界内で観察したマルセルの認識と、その数十年後に多くの背景事情を知り抜いてから語る時とでは、「焦点化」や「距離」のあり方が異なる。また自由間接話法で三人称を用いるヴァージニア・ウルフの作品では「異質物語世界的」の「内的焦点化」が生じる。
自由間接話法
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語り手と物語内容の登場人物との関係を扱う領域。伝統的に「一人称小説」「三人称小説」の対立とされてきたものである。いわゆる三人称小説であっても語り手は自分のことを一人称代名詞を用いて指示することは可能なので、従来の用語法は不適切であるとジュネットは指摘する。人称による分類は大きく分けて2つある。
結論
自らにこう問わなければならない。
——自分は何を見たのか、と。
ここでは結局、映画を観る僕 (たち) の決断こそが求められている。黒澤は遠ざかる杣売りの男に焦点を合わせることで、かたりを語りとして素直に聞き入れることの危険性を喚起するとともに、僕 (たち) が自分で善悪の門と向き合い、選択していくことを求めているのだ。だからこそ、杣売りの男を見送る旅法師の目はぼかされている。その視線は僕 (たち) が選択し、描かなければならない。
・かたりを語りとして素直に聞き入れることの危険性を喚起
・自分で善悪の門と向き合い、選択していくことを求めている
食べ物
言語
レトリック
メタファ
起点と目標
大根足
大根足:大根のように太い足のこと
目標:太い足
起点:大根
大根が「太い」にパケージされる
大根の「太い」という要素以外が見えなくなる
起点領域(大根)から目標領域(太い足)に到達する時、
起点領域(大根)が目標領域(太い足)にパッケージされる
文化人類学
民族学
4つのアプローチ
進化主義
進化主義(しんかしゅぎ、evolutionism)は、
世界中の未開社会の情報を網羅すれば、人類の文化がどのように進化したかを描くことができるとする考え方のことである。
理論の前提となる3つの仮定
・社会の進化にはスピードの差がある
・未開社会から近代西欧社会への一元的進化
・現在の異文化の姿は過去の社会の姿である
進化主義[編集] ハーバート・スペンサーらによる社会進化論(進化を進歩と混同したもの。)の強い影響を受けて、19世紀後半にイギリスやアメリカで隆盛した人類学におけるアプローチであり、そこでは適者生存・優勝劣敗の思想が打ち出されている。代表的な人類学者としては、エドワード・タイラーらがいる。自由主義的な要素が濃い反面、帝国主義や人種差別の正当化に用いられる要素も含んでいる。 スペンサーの著作および社会進化論は加藤弘之らによって紹介され、明治初年以降の日本の社会思想全般に大きな影響を与えた。当時の日本で石器時代研究が人類学教室のなかでおこなわれたり、縄文時代の文化を「先住民族の文化」とみなしたことにも、社会進化論的発想の強い影響がみてとれる。 進化主義的な人類学および民族学はまた、人類の文化に共通する現象として進化をとらえ、人類が基本的心性においては同一であるという点に注意を向けさせる側面があった。
歴史民族学(伝播主義)
歴史民族学(伝播主義)[編集] 仮面(コンゴ民主共和国) 進化主義への反動として現れたのが、20世紀前半にドイツやオーストリア、アメリカ合衆国でさかんになった歴史民族学であった。 そこでは、個別の文化事象が歴史的に形成されてきたことを強調し、個々の文化要素や文化複合の地理的分布のもつ意味について追究がなされた。 文化の歴史を、文化の伝播の見地から考察する論者が多く、その場合は伝播主義ともいわれる。 伝播主義は、文化要素の分布を手がかりとして、より着実な文化史再構成を目指したものであり、その立場には文化圏説のレオ・フロベニウス(Leo Frobenius)、グレープナー(F.Graebner)、シュミット(W.Schmidt)などがいる。アメリカ歴史学派のなかでは、とくにクローバー(A.L.Kroeber)とウィッスラー(C.Wissler)が伝播主義的傾向を有していた。 第二次大戦後、文化伝播論あるいは伝播主義的立場は、文化圏体系の維持が困難となったこともあり、衰退した。また1980年代までの考古学では、土着の文化の発展を重視する見方が強まっていた。
伝播
文化人類学の用語。二つの文化が直接あるいは間接に接触した場合,一方の文化から他方の文化へ,文化要素の移行・受容が行われる現象をさす。この意味において伝播は人類に普遍的であり,また人類の歴史のすべての段階に存在し,これによって,最初局地的に知られているだけだった創造的努力の成果が広まり,また再発明の手間を省くことによって文化の発展を促進してきた。既存のある文化体系に新しい文化要素がつけ加わるのには,その文化体系内部での発明と,他文化からの伝播とがあるが,ともに同様な過程をたどる。
① 次々に伝わって広まること。 「デマが国中に-する」
② 波動が広がっていくこと。
③ 二つの集団ないし文化が接触したとき、一方から他方へ文化要素が移ること。文化人類学の用語。
民族学の歴史においては,19世紀後半における進化主義への批判として,20世紀初頭には伝播主義が盛んとなった。
伝播や移動が人類文化史に果たした大きな役割を強調したことは伝播主義の功績
人類の,ことにその初期の文化史を主として伝播という観点から説明する立場
機能主義
機能主義
機能主義とは、1920年代以降のイギリスでさかんとなった、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスのラドクリフ=ブラウンやブロニスワフ・マリノフスキらが展開した社会人類学的なアプローチである。個々の制度や機制がその社会全体を維持するうえで果たす機能に着目する。そこには、伝統的なイギリス経験論哲学およびそこから生まれた功利主義思想の影響が認められる。
機能主義(きのうしゅぎ、英: functionalism)は、
社会的諸部分によるある事象を、それ以外の事象ないしより上位の社会的全体に対して何らかのかたちで貢献するか否かという視点から捉え、評価し解釈する方法論的アプローチである。パーソンズに始まる社会システム論(構造機能主義)、ロバート・マートンの中範囲理論、G.H.ミードに発するシンボリック相互作用論、ピーター・ブラウらの社会的交換理論を総称して「機能主義社会学」と呼ばれることも多い。機能(function)概念は、関数(function)の意も併せ持つ。カッシーラーによって「実体概念」から「関数概念」へと学問的展開がたどられ、機能と関数は科学史上共通の基盤をもつものとみなされた[1]。
社会には確固たる(変化しない)構造(パーソンズの場合はAGIL図式化)が存在し、すべての社会現象や相互行為は、この構造を維持するために機能していると考えることを[機能主義]といいます。そして特にパーソンズの機能主義を強調する場合は[構造-機能主義]といいます。
AGIL 図式
解説
〔AGILは、適応(adaptation)、目標達成(goal attainment)、統合(integration)、潜在的パターンの維持(latency)から〕
パーソンズの構造機能主義社会システム論のモデル。
適応・目標達成・統合・潜在的パターンの維持を、システム存続のために必要な機能的要件とする。
タルコット・パーソンズ
AGIL
A
適応(adaptation)
内部の集団を生存させるために外部の世界から資源を調達し、外部の世界に適応させていく機能
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G
目標達成(goal attainment)
集団の目標達成のために人や富を動かす機能
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I
統合(integration)
人々を統合して勝手な行動を食い止める機能。
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L
潜在的パターンの維持(latency)
A・G・Iを可能にさせる潜在的な動機付けとなる機能。
また社会の緊張を和らげる機能。
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人間社会に起きているあらゆる現象は、
社会が安定するため(AGIL図式の維持するため)にあるという考え
構造主義
構造主義
第二次世界大戦後のフランスでさかんになったアプローチである。クロード・レヴィ=ストロースがその中心人物で、ブラジルでの旅の紀行をまとめた『悲しき熱帯』は当時にあってはセンセーショナルな、こんにちでは記念碑的な構造人類学の著作となった。 構造主義的な人類学においては、文化を構成する個々の要素をそれ自体としてではなく、相互間の関係性の束からなる構造としてとらえる。また、特に、意識化されない構造の重要性について論究している。 なお、レヴィ=ストロースによるムルンギン族の婚姻体系の研究については、アンドレ・ヴェイユが数学における群論[注釈 2]を活用して、その婚姻体系の全容を解明しており、レヴィ=ストロースの思想は多方面に影響を与えただけでなく、異なる学問分野間の交流や学際的な研究を促進する役割をも担ったと評することができる。
構造主義(こうぞうしゅぎ、仏: structuralisme)とは、
狭義には1960年代に登場し主にフランスで発展していった20世紀の現代思想のひとつである。構造主義の代表的な思想家としてクロード・レヴィ=ストロース、ルイ・アルチュセール、ジャック・ラカン、ミシェル・フーコー、ロラン・バルトなどが活躍した。広義には、現代思想から拡張されて、あらゆる現象に対して、その現象に潜在する構造を抽出し、その構造によって現象を理解し、場合によっては制御するための方法論を指す語である[1]。
文化を構成する個々の要素をそれ自体としてではなく、相互間の関係性の束からなる構造としてとらえる。また、特に、意識化されない構造の重要性について論究している。
文化相対主義へ
文化相対主義へ
民族学は、西欧的世界の外側にあった多様な民族の文化、とくに未開や野蛮とされた自然民族の文化に対する特殊な関心にはじまった。このことは、民族学が人類文化の科学に発展するための契機となったが、同時にまた、それが自らを相対化して一般的な文化の学そのものとして生まれることを妨げる制約ともなった[1]。こんにち民族学が文化人類学の名で呼ばれる理由の一端はそこに認められる。現代では、エスノセントリズム(自民族優越主義)からの脱却がはかられ、世界の諸民族の文化は等しい価値を持ち、各文化のたがいの差異を優劣関係に置き換えることなく、多様性を尊重する文化相対主義の考えが出現した。
文化相対主義(ぶんかそうたいしゅぎ、Cultural relativism)とは、
全ての文化は優劣で比べるものではなく対等である、という思想である。 文化相対主義は、ある社会の文化の洗練さは外部の価値観によって測ることはできない、と考える。自身の文化を相対的に把握したうえで、異文化と相手側の価値観をとらえ、その文化、社会のありのままの姿を理解しようとする。フランツ・ボアズによって提唱された。ただしボアズ自身はこの用語を用いていない。
全ての文化は優劣で比べるものではなく対等である、という思想である。
アプローチの流れ
①社会・文化はどのように進化したのか
②社会・文化どのように伝わっていったのか
③社会・文化どのような個々の機能で支えられているのか
④社会・文化はどのような相互作用で成り立っているのか
⑤全ての社会・文化は等価であるからありのままの姿を理解しよう
民俗学→ナショナリズムから生まれた
民族学→コロニアリズムから生まれた
ナショナリズム
二つの大きな作用
①文化が共有されると考えられる範囲まで政治的共同体の版図を拡大しようとする作用
②政治的共同体の掌握する領域内に存在する複数の文化を支配的な文化に同化しようとする作用
国家や民族の統一・独立・繁栄を目ざす思想や運動
国家主義・民族主義・国民主義などと訳される
国家主義
個人よりも国のことを大事にする考え方
ex)
・個人の自由よりも、国が戦争に勝つことが大事だ!
・個人の利益よりも、国が貿易で利益を上げることが大事だ!
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民族主義
民族の統一や独立、発展を目指す考え方
ex)
・元々は同じ民族であったため、統一して一つになりたい。
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民族の独立を目指す考えや運動
ex)
・私たちは同じ言語や宗教・文化をもった民族だ!
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国民主義
国民の自由を大事にしつつも、国を発展させようとする考え方
国家や民族のことを大事にする考え方<
問題点
あまりに自国のことを重視しすぎると、個人の自由や権利が抑圧されてしまいまう。
今の日本では、「徴兵制」という制度はありませんが、昔は普通にありました。 「徴兵制」とは、国を守るために、ある年齢に達した人を強制的に軍隊に入れることです。 「国の利益」という点を重視すれば、徴兵制はメリットはあります。 しかし、体をきたえることが嫌いな人にとってみればかなりの苦痛です。 そもそも人と戦うこと自体が嫌いという人もいるでしょう。
個人の価値観を重視する人にとっては、「ナショナリズム」という考え方は水と油のように混じり合わないのが分かると思います。
「ナショナリズム」は、基本的には国家や民族など大きな集合体を大事にする考え方です。そのため、行きすぎてしまうと、自国や自民族を極度に愛し、他を排除する制度のようにとらえられてしまう場合もあるのです。
これを国粋主義と言います。
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問題点
・個人の自由や権利が抑圧されてしまう。
・他国や他民族を排除してしまう場合がある。
コロニアリズム
コロニアリズム
=植民地主義(しょくみんちしゅぎ)とは、国境外の領域を植民地として獲得し支配する政策活動と、それを正当化して推し進める思考を指す。大航海時代から20世紀後半にかけては強国が盛んに植民地を獲得し、たがいに覇を競っていた。
植民地を獲得・維持し、拡大しようとする政策。または、それを正当化する思想。
民族学は伝統的には、非ヨーロッパ世界の、いわゆる「未開民族」の文化の調査を軸として発達してきたが、
こんにちでは未開、文明を問わず世界のすべての民族を研究対象とし、文化の全体構造を探究する一般的な科学に成長した。
民族学
民俗学
考現学
考現学(こうげんがく、the study of modern social phenomena)とは、現代の社会現象を場所・時間を定めて組織的に調査・研究し、世相や風俗を分析・解説しようとする学問。考古学をもじってつくられた造語、モデルノロジー(modernology)。
今和次郎
柳田國男
民俗学は、風俗や習慣、伝説、民話、歌謡、生活用具、家屋など古くから民間で伝承されてきた有形、無形の民俗資料をもとに、人間の営みの中で伝承されてきた現象の歴史的変遷を明らかにし、それを通じて現在の生活文化を相対的に説明しようとする学問である。
民族学との違い
未開の多民族の比較研究である文化人類学や民族学(エスノロジー)に対し,
文明民族の民間生活の研究,自民族の自己認識を民俗学とし,広義の文化人類学に含める説が有力。
民間伝承の調査を通して、主として一般庶民の生活・文化の発展の歴史を研究する学問。英国に起こり、日本では柳田国男・折口信夫(おりくちしのぶ)らにより体系づけられた。フォークロア。
民間伝承の調査を通して、主として一般庶民の生活・文化の発展の歴史を研究する学問。
民間伝承
ほとんど文献に記されないで、古くから民間に伝承されてきた風習・口碑・伝説・俗信・芸能などの総称。
民間伝承 みんかんでんしょう 古くから民間に伝わる習俗,諺,口碑,伝説,歌謡,舞踊,昔話などの文化遺産の総合的名称。それらを研究する民俗学は,研究対象,研究法の両面で文化人類学と深い関係をもっている。 R.ドーソンは文化遺産群を,(1) 口承によるもの,(2) 社会的習俗,(3) 物質的文化遺産,(4) 民俗芸術に分類したが,(1) は口承の物語や詩,なぞなぞ,諺など,(2) は祭礼,娯楽,民間宗儀など,(3) は工芸品,建築物,服飾,料理など,(4) は演劇,舞踊,民謡などである。イギリスの T.パーシーや W.スコット,ドイツのグリム兄弟,フランスの C.ペローら,民間伝承の収集に力を注いだ文学者は多い。近代の日本では柳田国男の業績が顕著である。
民俗学 みんぞくがく 民俗学は、文化の進んだ国あるいは民族について、一般庶民のつくりあげてきた文化の今日に至るまでの発展の模様を研究するものである。そのより古い文化の姿を知るについて、進んだ庶民生活のなかになお残っている古い文化の姿、いわゆる民俗とか民間伝承というものを尋ねてゆくことを特色とする。ときに民俗資料と対比される文献資料にも、その当時の民俗の一端を明らかにするものが数々あり、庶民生活の姿をその時代性とともに伝えてくれるもので、やはり民俗学の貴重な資料となる。いったい、文化の進歩は一国一民族のうちすべての人々に一様に現れるものではない。交通通信の目覚ましい進歩、教育の普及とともに地域差はしだいに縮まっているが、まだ都会と田舎(いなか)との間には大きな格差がある。都会地にはすでに消えた古い文化が、僻地(へきち)へ行くとまだ残っており、その姿をまざまざととらえることができる。僻地でも年若い人々より高年齢層のなかに古い文化の姿を探ることができる。 こうして民俗学は一国一民族の文化発展の歴史を探るものであるが、民俗学の現代性を強調する人々も多い。民俗学は、民間伝承のなかでも現代になお強い勢力をもち、現代生活に大きな影響を及ぼしているようなものを取り扱うべきだとするものである。そのような民間伝承の研究がとくに貴重なことはいうまでもないが、現代生活の末端にかすかに生き続けるに至ったもので、現代生活の推移を理解するうえで無視しえないものがあり、そうした民俗の研究を民俗学の領域から排除することはできない。また民間伝承のなかには、現在に受け継がれておりながら、その意義の判然としないものが数多くあり、それらを多数集めて相互に比較考究することにより、文化発展のうえに有する意義が明らかになるものが少なくない。この種の考究は民俗学領域の重要な部分を占める。 こうした民俗学が説くところの歴史は、従来の一般の歴史と比べ著しく異なるものである。在来の歴史研究では、たとえば衣食住のようなものでも、最上流の宮廷における姿、広壮な宮殿の造りや華麗な服飾のことなどこまごまと取り上げられた。文学や美術についても、傑出した巨匠の作品が論ぜられ、一般庶民に関心の深いものはとかく疎んぜられている。これに反し民俗学では、上流人士にかかわるものも無視はしないが、とくに力を注いで説くのは一般庶民の文化に関してである。そのため、民主化の進行とともに民俗学的な研究がますます尊重されている。[最上孝敬]
進んだ庶民生活のなかになお残っている古い文化の姿、いわゆる民俗とか民間伝承というものを尋ねてゆくことを特色とする。
民芸
柳宗悦
民芸運動
民芸運動(民藝運動、みんげいうんどう)とは、1926年(大正15年)、「日本民藝美術館設立趣意書」の発刊により開始された、日常的な暮らしの中で使われてきた手仕事の日用品の中に「用の美」を見出し、活用する日本独自の運動。21世紀の現在でも活動が続けられている。「民芸」とは、民衆的工芸の意[1]。
日用品
無名の職人によって生み出された庶民の日用品にこそ「美」があるとする思想に基づく。
棟方志功
考古学
先史考古学
先史考古学(せんしこうこがく、英語:prehistoric archaeology)とは、文字による文献が残される以前の時代、すなわち先史時代を考古学方法によって研究する学問分野である。先史学(せんしがく)/史前学(しぜんがく)とも呼ばれるが、先史学や史前学には考古学によるアプローチ(先史考古学)以外の先史時代の研究方法を含める場合もある。
文字記録がない時代の痕跡やモノを通して人類の活動とその変化を研究する学問
旧石器捏造事件